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十二代目 宇右衛門の廣瀬文彦が語る ウエモンのよもやま話

2025年5月31日(土) 17:55

生け花

 畑ではコントラがブンブン音をたてライ麦の収穫に走り廻っているが
目を少し上に転じれば、今年もウエモンズハート前のトチノキが、開花時期を迎えた。IMG_5389.jpeg

 隣の辛夷の白い可憐な花は、入院時期と重なり見る事はできなかったけど、ルピナスとの花を枝先に満載した様なトチノキをついつい見上げてしまう。
IMG_5390.jpeg
居間でも眺められる様に一房手折ってくる。IMG_5397.jpeg

 6月1日
一晩過ぎた今朝も頑張って可憐な姿を見せてくれている。

因みに老父によれば「ロウソク花」とも言うそうだ。
遠望すれば木の枝先に無数のロウソクの灯明が灯ってもいる様だ。IMG_5391.jpeg
そういえば、仏教の曼荼羅絵図にも見えるIMG_5408.jpeg
 合掌

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2025年5月31日(土) 12:40

収穫

 先日ライ麦が出穂期を迎えたことを報告しました。
そして一昨日(29日)刈り取りをし、
今日コントラを頼んで、ライ麦を収穫、そしてバンカーサイロに詰め込んでいた。IMG_5381.jpeg
ライ麦の若刈りサイレージを作るのは、広瀬牧場史上初の試み。

どんな餌が出来るのか、楽しみだ‼️

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2025年5月30日(金) 05:35

夕陽

 5月29日午後6時30分丁度。
西の空に夕陽が......IMG_5377.jpeg
薄く靄がかかっていたせいか、直視出来る。

見るにつけ、太陽らしい光芒も無く熱量も今一。
何か物悲しい。
齡73の我身に重ねてしまう。

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2025年5月29日(木) 05:49

消費者との溝埋める

 今朝の業界紙11面からIMG_5370.jpeg
「消費者との溝埋める」とは、今の米騒動を受けての、千葉県船橋市の松戸市長の言葉だ。
農家が再生産できない米価で大変だった時は、誰も問題視していなかった。
野菜がこんなに安く売っているとテレビで報道している時、誰一人として「農家はこんな値段で売っても大丈夫ですか」とは言わない。
反対に米や野菜が値上がりすれば、生活に直結しているだけに消費者は敏感だ。
 その溝を埋める為には、消費と生産の距離を近づけることが必要。とある。

おおいに、大賛成だ‼️

今から40数年前、1980年代の事。
ガットウルグアイラウンドで例外なき自由化が採択され、日本は牛肉オレンジの自由化を受け入れた。
その結果日本農政も、乳価も国際競争力をつける為経営規模拡大や一頭当たりの生産量を増やすなど、
価格低減のための経営努力が必要と酪農家にプレッシャーをかけていた。
そんな動きを反映してスーパーなどでは牛乳の特売や安売りが続いていた。
そんな折、スーパーのバイヤーが「1円でも安く、と言うのが消費者ニーズですから」と言う声がテレビから聴こえてきた。
また、時代の寵児スーパーダイエーの中内社長も「我々はきちんと利益を出しており、損をしてまで牛乳を売っている訳ではない。」とのたまうばかり。

 当時労働環境も議論されていて、日本人の年間総労働時間は2,500時間余り。
欧米などは既に2,000時間を切り、夏には1ヶ月以上の長期休暇を取るのが当たり前で
1,500時間を切ろうと言う勢いで、日本人は働き過ぎとも言われていた。
その結果、完全週休2日制が導入された。

 翻って、休みの無い我々酪農家は、規模拡大も相俟って一人当たりの労働時間は4,000時間を優に超え、
夫婦で7,000〜8,000時間もの労働を強いられている。
それもサラリーマン一人の稼ぎに追いつけない状態だった(今でもそうだが......)

労働時間一つを取ってもこれだけ不公平な社会で、更に安い牛乳をと言う世論に疑問を感じでいた。

漸く結論めいた話し。

そこで「消費者に酪農の現状を伝えなきゃ」と言う思いで、
1991年(平成3年)、一般消費者が自由に見学できる、見学室付きの搾乳施設、名づけて「見るキングパーラー」を建設する。
そして1999年(平成11年)広瀬牧場ではジェラートショップ「ウエモンズハート」を開設。
全国では消費者に生産の現状を知ってもらう活動「地域交流牧場全国連絡会」が組織される。
2004年(平成16年)には、生産者自からも発信する事の重要性に鑑み、食育基本法も制定され現在に至るのだ。

つまり、生産者も消費者に生産現場を開放し、現状を伝えることも「農作業」の一環として実施すべきだ。

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2025年5月27日(火) 06:47

自覚

 昨日午前、家内に付き合って帯広厚生病院に行って来た時の事。
「あっ、広瀬さん‼︎」と向かいから歩いて来た看護師から声をかけられた。
マスクを付けている為「ハイ⁈」と怪訝そうな目で見つめると
「オグラです、すごく元気そうですね!退院して何年になります?」
「ああ、小椋さんかぁ」
以前、厚生病院に入院時お世話になった看護師の小椋さんと気づき
「阪大でハートシート移植を受けたのが2017年なので、8年以上前ですね。」
「もうそんなになるんだ!当時、小山先生が診ていた拡張型心筋症の患者さんは、廣瀬さんを入れて4人だったけど、
廣瀬さん以外の3人は全員亡くなっているんですよ。」
「ええ〜、そうなんですか?」
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右隣が小椋看護師

50代後半から息切れがひどく、喘息ではと数年間3カ所の呼吸器科に通院。
その3カ所目の帯広厚生病院呼吸器科の荻と言う若い先生が、
「廣瀬さん、これは呼吸器では無く心臓かもしれないので、循環器の方で詳しく調べて貰いなさい」と、
循環器科の方に紹介された。
 そこで1ヶ月弱の検査入院の末、「特発性拡張型心筋症」と言う10万人に3〜4人のひてが発症する
難病である事が判明。合わせて「余命5年」との宣告も受ける。
その後、担当は小山先生に代わってもらい、CRT-Dと言うペーシング機能を持ったペースメーカーも
左胸に移植。
しかし悪化の一途を辿っていた3年後の65才の時小山先生から、ハートシート移植の治験を始めていた
阪大病院の澤芳樹先生を紹介していただき、藁にもすがる思いで即入院。
2017年5月8日、8年前の事だった。
澤先生と言えば、今年4月から半年間大阪夢洲で開かれている大阪万博の日本館で
ips細胞でできた「人工心筋」が展示されているそうだが、その細胞の生みの親だ。

 それ以来初めて会った小椋看護師さんに偶然お会いし、
同じ難病で治療を受けていた他の3人は全て心臓移植を待たずに亡くなっていた事をお聞きし
自分の幸運を思うと同時に、こうやって生きている事は当たり前では無いのだと、背筋が凍る思いだった。
 

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