オンラインショップ
2025年8月16日(土) 18:37

8月15日

 昨日8月15日はお盆のお中日だがそれと共に終戦記念日でもある。
特に今年は80回目という事で、新聞やTVでは8月6日の広島、9日の長崎両市への原爆投下から1週間以上、
「二度と戦争の惨禍を繰り返すな!」的な論調で繰り返し報じられている。
IMG_6083.jpeg
紙面をアップしてみると当日正午、悲しみに打ちひしがれた市民が正座して頭を垂れて宮城遥拝していると言う見慣れた写真だIMG_6084.jpeg
実はこの時の生き証人が我が家には存在するのだ。
そう、今年白寿を迎えた父博昭がその人だ。
当日都内の、旧制麻布中学校に通っていたので、3月10日の下町大空襲も命からがら逃げ惑っていた。
そして5ヶ月後、玉音放送を聞いた途端「これで死ななくて済んだ、バンザーイ!」と声に出すのは憚られるので、心の中で何度も叫んだそうだ。
そしてまた、宮城に向かって正座して頭を垂れている人の心の内を父は「天皇陛下戦争をやめてくれてありがとう、天皇陛下バンザーイ!と叫んでいた筈だと言う」
兎も角皆んな悲しい気持ちではなく、「戦争を止めてくれてありがとうの気持ちだった筈」といつも言う。

 さて新聞やTVでは、戦前の日本政府や軍部と小市民と言う二項対立で戦争を描く。
「国力の差が歴然としているのになぜ無謀な戦争に突入して行ったのか?」
「300万人も戦死させる無駄な戦争だった」
「日本は東アジアや東南アジア諸国への無謀な侵略を繰り返していた」
「愚かな戦争だった」的な論調が、73才の自分の記憶にあるかぎり続いている。

80年前。
極東国際軍事裁判で日本の所謂A級戦犯とされた7人は「平和に対する罪」で絞首刑になったが、
この軍事裁判が開かれるまでは、戦争は政治の延長(ドイツのカール・フォン・クラウゼヴィッツの『戦争論』では、主権国家の権利とも)として認められていた。
又、アメリカのヘレン・ミアーズの『アメリカの鏡日本』でも、江戸末期、鎖国日本の門戸を無理矢理こじ開け帝国主義思想を植え付けたのはアメリカで、
日本を裁く権利は元々無い、とも言っている。

何が言いたいか。
大東亜戦争に於る日本の戦略、戦術の稚拙さは否めないかも知れないが、あの戦争があったからこそ日本は元より中韓を含むアジアの独立と安定は作られたのであり、
靖国に眠る将兵の命には国民こぞって感謝すべきである。

LINEで送る

2025年8月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

バックナンバー

最新記事

カテゴリー