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十二代目 宇右衛門の廣瀬文彦が語る ウエモンのよもやま話

2025年8月20日(水) 07:58

少年の翼

 18日午前、埼玉県川越市から中学生の一団が、十勝農楽校の体験にやってきた。
川越市が「少年の翼」として、市内24校の中学校から選抜された2名ずつ計48名と、
過去に少年の翼を経験した20才になる11名のリーダー、合わせて59名の一団が、十勝で様々な体験をする為に
派遣しているものだ。

少年の翼の研修日程や内容は全く把握してはいないのだけど、「十勝農楽校」では酪農の楽しさや牛乳の価値についての話し、
牧場見学と子牛との触れ合い、アイスクリームの手作り体験。最後にウエモンズハートのプレゼントジェラートを食べて頂くと言うもので、
もう15年程続いている。

 選抜された少年少女だけあって何に対しても素直で積極的。
もう60年以上も前の自分自身の記憶を手繰り寄せ、重ねてみる良い機会で、こんな子達が背負う日本の未来がたのしみだ。
そして受け入れる側としても背筋が伸びる一時だった。
最後に記念写真。
その際、一人のリーダーが我々老夫婦に気遣い椅子を用意してくれた。IMG_6090.jpeg

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2025年8月16日(土) 18:37

8月15日

 昨日8月15日はお盆のお中日だがそれと共に終戦記念日でもある。
特に今年は80回目という事で、新聞やTVでは8月6日の広島、9日の長崎両市への原爆投下から1週間以上、
「二度と戦争の惨禍を繰り返すな!」的な論調で繰り返し報じられている。
IMG_6083.jpeg
紙面をアップしてみると当日正午、悲しみに打ちひしがれた市民が正座して頭を垂れて宮城遥拝していると言う見慣れた写真だIMG_6084.jpeg
実はこの時の生き証人が我が家には存在するのだ。
そう、今年白寿を迎えた父博昭がその人だ。
当日都内の、旧制麻布中学校に通っていたので、3月10日の下町大空襲も命からがら逃げ惑っていた。
そして5ヶ月後、玉音放送を聞いた途端「これで死ななくて済んだ、バンザーイ!」と声に出すのは憚られるので、心の中で何度も叫んだそうだ。
そしてまた、宮城に向かって正座して頭を垂れている人の心の内を父は「天皇陛下戦争をやめてくれてありがとう、天皇陛下バンザーイ!と叫んでいた筈だと言う」
兎も角皆んな悲しい気持ちではなく、「戦争を止めてくれてありがとうの気持ちだった筈」といつも言う。

 さて新聞やTVでは、戦前の日本政府や軍部と小市民と言う二項対立で戦争を描く。
「国力の差が歴然としているのになぜ無謀な戦争に突入して行ったのか?」
「300万人も戦死させる無駄な戦争だった」
「日本は東アジアや東南アジア諸国への無謀な侵略を繰り返していた」
「愚かな戦争だった」的な論調が、73才の自分の記憶にあるかぎり続いている。

80年前。
極東国際軍事裁判で日本の所謂A級戦犯とされた7人は「平和に対する罪」で絞首刑になったが、
この軍事裁判が開かれるまでは、戦争は政治の延長(ドイツのカール・フォン・クラウゼヴィッツの『戦争論』では、主権国家の権利とも)として認められていた。
又、アメリカのヘレン・ミアーズの『アメリカの鏡日本』でも、江戸末期、鎖国日本の門戸を無理矢理こじ開け帝国主義思想を植え付けたのはアメリカで、
日本を裁く権利は元々無い、とも言っている。

何が言いたいか。
大東亜戦争に於る日本の戦略、戦術の稚拙さは否めないかも知れないが、あの戦争があったからこそ日本は元より中韓を含むアジアの独立と安定は作られたのであり、
靖国に眠る将兵の命には国民こぞって感謝すべきである。

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2025年8月13日(水) 05:47

盆の入り

 今日8月13日は盆の入りと言う事で、朝早く盆提灯を飾る
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昨夕、倅が盆提灯を中々飾る気配を見せないので、老父が心配そうに「明日は先祖が帰ってくるから、盆提灯飾ってくれないか」と頼まれた。

55年も前、オレが農業後継者となった頃の話し。

 春雪解けを迎える4月は牧草畑に基肥を撒くシーズンだ。
雪解けが進み畑にトラクターの轍の跡が付かなくなる頃を見計らって散布するのだが、
その時期を今か今かと見計らっていると、オヤジは「まだ肥料は撒かんのか?」
 6月になると一番牧草の収穫時期だ。
乾草に仕上げるのに最低3日の好天が欲しく、天気予報と睨めっこしているとオヤジは「まだ草は刈らんのか?」と先走る。
 いつも先走る親父に嫌気がさして、「こんな家飛び出してやる!」と息巻いていたものだ。
 飛び出す勇気が無かったから、未だに親方ヅラして家にいるのだが......

 さて、老父は99才の白寿を迎えながら、折々の行事も忘れずに声をかけてくれる事を喜ぶべきか、
はたまた他人がやろうとしている事を先回りして指図するクセは直らない。

 早朝、盆提灯を飾りながら「こりゃオヤジは百寿間違いないや」と73才の息子は思うのだった。

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2025年8月12日(火) 05:55

ウエモンズハート、26年目の夏

 今年は昭和100年。
広瀬牧場が岐阜から移住したのはそれよりやや古く108年。
第二次世界大戦が終わって80年。
酪農を始めて77年
そしてウエモンズハートは四半世紀を越え、26年を迎えた。
そんな2025年。暑い夏だ。

7月下旬の道内は35℃越えは当たり前、40℃も記録した。
気象予報士の言を借りれば、危険な暑さ又は災害級の暑さだ。

帯広も予報では40℃の日もあったが、38.8℃とタイ記録だったらしい。IMG_6030.jpeg
ウエモンズハートにとっては追い風だが、本業の酪農、牛達にとっては文字通り災害級で、手放しで喜べないのも事実だ。

そんな中26年目を迎えたウエモンズハートは、ますます盛んと言えるかも知れない。
昨日も今日も1,000人を超えるお客様に来て頂いている。
誠に感謝に堪えない。

その26年と言う時間軸で言うと、店舗工房の老朽化、それに相俟って我々夫婦もとうに古希を過ぎてやはり老朽化して来た。

我々には残された時間は少ないし、待ってはくれない。


 

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2025年8月 5日(火) 05:22

混じりっけ無しの本物の味

  8月2日午前、東京からNさん一家が牧場体験に来てくれた。
子供さんは未だ5才との事。
ウエモンズハートで言う"all体験"で、酪農や牛乳の話し、牧場見学そしてアイスクリーム作り体験だが、
5才の子供には飽きさせない様クイズや簡単な質問をおり混ぜながら、進めて行く。

さて、いよいよアイスクリーム作り体験だ。
勿論、入念に手洗いもしてもらう。
そして、準備する道具や作り方の説明が一通り終わり「ヨーイ、スタート」の合図で、
氷をボール内に並べるところから始める。

7〜8分後「はーい出来上がりです。早速食べてみて下さい」

すると若いお母さんが「◯◯ちゃん、人生初のアイスクリームだね。どんな味か楽しみだね。」と言うではないか。
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お母さんのその言葉を聞き咎めて「5才にもなって初めてのアイスクリーム⁉️よく今まで我慢させられましたね。
昔家内も幼い子の虫歯を防ぐためにチョコレートを3〜4才まで控えさせていたけど、そんな思いですか❓」と聞いた。
するとお母さんは「いいえ、本物のアイスクリームの味をこの子の舌に覚えてもらいたかったのよ。」と言うではないか。
「本物⁉️」と聞き直すと
「そう。コンビニやスーパー。アイス専門店でいつでも身近に溢れているけど、人工甘味料や着色剤にフレーバーなど
どんな物が含まれているかわかりません。ですから自牧場で生産された牛乳に自然甘味料のグラニュー糖。そしてフレーバーは不使用と言う
広瀬牧場ウエモンズハートさんのアイスを、彼女の初アイス体験させたかったの」と言うではありませんか。
「そうなんだ......。本当に光栄です。」と言うのがやっと。

26年前。ジェラートショップ「ウエモンズハート」を始めるに当たって店長は、
「美味しさの基本は自牧場で搾った牛乳に北海道で生産された自然甘味料のグラニュー糖。
成分調整には十勝産の生クリームにスキムミルクのみで作る事」と公言。
その基本は今も守り続けてられている。

その店長の思いはウエモンズハートのHPで紹介されているが、
こんな形で消費者に伝わっている事が分かった、嬉しい体験時間でした。

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