日本の端っこ
今回思いがけず三男家族の誘いで石垣島に行って来たのだが、その際三男から「父ーさん、母ーさんの行きたい所ある⁈」と問い合わせがあった。
オレはすかさず「日本の最南端波照間島と最西端の与那国島に行きたい」と答える。
沖縄や石垣島などは個人的に2回。農業委員会等の公務で2回の計4回訪問しているが、
時間が限られていて離島まで足を運ぶチャンスが無かった。
そして今回出入り8日間移動無しのバカンスと言う事で、夢を叶えてくれたのだ。
3日目の17日、最南端の島波照間島に向けて三男と2人、石垣港から定期の高速艇に乗り込む。
100分後、波照間港へ入港
上陸後、一周15kmの島をレンタカーで廻る。
予定では、レンタルスクーターの筈だったのだが、乗れない。
変だ❓いや、年だ❗️情け無い。
そして最南端の地に到達した。
その証明書
2日後の19日は三男と家内の3人で、最西端の島与那国島へプロペラヒコー機で35分。
その証明書
勿論孫達とも思いっきり楽しんだ。
リスザル公園では
グラスボートでは前日の荒天で海の濁りが治りきらず
貸し自転車では、年を自覚させられる。強烈に!
ペダルを漕ぐ度に膝が痛く、止まろうと足をつくとまた膝が「痛タタタッ」。
そして堪えきれずにドテン!
こんな筈じゃ......!と思いつつ、憤懣のぶつけ所が無い。只々加齢の現実を受け入れざるを得ない旅でも有った。
石垣島
旅の始まりは6月15日。
三男家族とは羽田空港第一ターミナルで合流、
石垣行きは午後3時前と、乗り換え時間が充分あるため、子供達の腹ごしらえからはじまる。
約3時間のフライト。南西諸島の海域に入ると、島影が見えるとポンポン蒸気船の様な雲の連なりがなんとも言えず面白い。
自然の織りなす造形は、飽きる事をしらない。
さて、初日は先ず投宿先に辿り着くのが目的。
石垣空港に到着し、直ぐに予約してあるレンタカー屋さんに直行
石垣市内のホテルにチェックイン。
そして夕食は、5才と2才の孫連れなので、食料品や飲み物を買い出し、部屋食にする。
孫達ものびのび、そしてゆっくり食事を楽しみ、石垣の夜は暮れていくのでした。
弔事
21日午後4時半頃羽田空港に到着。
午後6時から東京御徒町の吉池食堂で、酪農専門組織の専務の退任慰労会が開かれ参加して来た。
その宴もたけなわの7時半過ぎ、一番下の妹から電話が入る。
胸騒ぎを覚えながら電話に出ると、やはり何かが有ったかと思わせる声色で
「たった今、岩田さんが亡くなったよ」との第一声だった。
岩田隆一。すぐ下の妹の旦那で、義弟とは言えオレより6才も年上でありながら、フットワークも軽やか。
我が家にとっては、機械の潤滑油のような、つまり義理の兄弟、家族間の良好な関係を維持してくれる人だった。
翌22日、飛行機便は満席で変更も出来ず最終便で帰着。
そのまま葬祭場の家族控え室を訪ねる。
もう午後9時。
妹と長男に出迎えられ、夜具に安置されている岩田さんに手を合わせ顔を覗き込むと、
いかにも安らかな顔で、今にも目を開いて「いやぁ、つい寝過ごしちゃった。ゴメン、ごめん」とでも言い出しそうだった。
23日、通夜の開式前に99才の老父(我が父博昭)が、オレからもお経をあげてやりたいと祭壇に向かい正信偈を唱える。
そして24日葬儀。49日繰上げ法要も済み、無事天国への旅出を見送る事が出来た。
安らかに。
ほぼ初めて、のANA
帯広を15日に発ったので、8日ぶりにこれから戻るところ。
今羽田のANAの搭乗口に着いた。
しかし、51Aまでは兎に角遠い。1km以上は歩いている。
幾つになっても未踏の地には行きたいものだが、乗り換えの為の移動距離は想像を絶する。
話しは変わって、昨日昼石垣から約3時間弱を要して羽田に移動したANAの機体はイエローボディだった。
「C-3PO JET」と言ってスターウォーズに登場するC-3POをモデルにしているらしい。知らんけど!
その3時間弱の移動は、1,200kmの南西諸島沖を北上。
九州から日本列島の南岸を飛行し、2時間後、富士山が見え始めた。
伊豆半島の先端を迂廻して更に進む
すると今度は伊豆大島が見え始め、高度も下げ始める
更に東京湾入り口を東に進み、房総半島を北上し、都心上空から羽田空港に進入するのだが、
懐かしいフジTVのビルが左手に見える
そして孫達との石垣の旅は終わりを迎えたのだ。
石垣島Now
「今、石垣島!」
と、言っても今日昼頃の飛行機で東京に戻る予定。
今回の旅は、思いがけず三男一家に誘われ実現したものだが、以前からチャンスが有れば訪ねたいと思っていた
離島行きが実現した。
旅の様子は後ほど......