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十二代目 宇右衛門の廣瀬文彦が語る ウエモンのよもやま話

2018年1月 2日(火) 10:46

正月

IMG_1913.JPG 大晦日。帰省した息子達と久し振りの団欒。 孫も寝、両親も隠居へ行き遅くまで話しは尽きない(と言っても牛屋の朝は盆正月無く早いので、9時半にはお開き)。 そして迎えた平成30年1月1日。 IMG_1941.JPG 雪の為初日の出は拝む事は叶わなかったが、代わりに幻想的な風景が現れた。 IMG_1931.JPG IMG_1920.JPG IMG_1922.JPG 北国ならではの美しく清々しい正月だ。 正月といえば...... 賀状 IMG_1927.JPG お年玉 IMG_1928.JPG 廣瀬家新春の集い 4860075296_IMG_0077.JPG 箱根駅伝 IMG_1926.JPG それにしても、二年振りに娑婆で迎える正月。御節食べ過ぎ、お屠蘇飲み過ぎ! 9日からは阪大に検査入院だけれど、ダイエット入院か⁈ 隔離されなければ...。意志薄弱‼️
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2017年12月31日(日) 07:30

大晦日

昨年から今年に掛けて拡張型心筋症が進行し体調が悪く、一年前のオレは年末年始を帯広厚生病院で迎えた。他の科はいざ知らず循環器内科は患者の3分の2は病院で越年していたし、家内を始め家族皆が入れ替わり立ち代り訪ねてくれたので、病院特有の隔離されている寂しさは無かったけれど、我が余命もいくばくか...と、過ぎ来し方、現在、行く末に思いを馳せていた。 今朝の道新の卓上四季の欄に「過現未」と言う言葉が載っていた。 IMG_1910.JPG 過去、現在、未来をまとめて表す言葉の様だけど、恥ずかしながら65年の人生で初めて耳に(目に)する日本語だ。 十万人に4、5人と言われる心臓の難病に罹った不幸から一転、治験の段階の先端医療を受けるチャンスが巡ってくると言う所謂地獄から天国に引き上げて貰った一年を振り返ると、妙に心に引っかかる言葉だ! 友人、知人には、失われた筈の老後が案に相違して返して貰っても戸惑うばかりだ!と、バカな事を言ってはいるんですが... 新年を迎えるに当たり、来年は何をお願いしようかな⁉︎ 渡道100年記念誌の完成、次男坊の嫁探し、ウエモンズハートの機構改革や商品開発、一級障害者夫婦の健康維持や夫婦旅行、36区町内会の改革、教育ファーム体験の受け入れ制限の解除、などなど...。 欲張りかな⁉️ 過去、現在に思いを馳せ、残された未来、否、限られた未来を貪欲に過ごすぞ〜‼️
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2017年12月25日(月) 11:56

忘年会

19日は忘年会が札幌であり、JRでの久しぶりのひとり旅 IMG_1892.JPG 芽室を過ぎるとすぐ右手に山が迫ってくる。 IMG_1896.JPG この風景は60年程前、母がすぐ下の妹を背負い、オレを自分の実家に連れて行ってくれたあの懐かしい記憶に繋がる。 当時、汽車が進むにつれて山が迫って来る車窓の風景を見ながら、母方のばあちゃんの家はどんな山の中にあるのか少し心細く感じたものだ。 母の在所は御影の松沢と言うところの分家の農家で、国鉄御影駅を下車して北東方向約一里程の所に有った。途中には段丘の坂を下り、十勝川と言う大河に架かる橋の欄干が角材一本で、歩いて渡るのには川の流れに引き込まれそうで怖く、なるべく真ん中を歩いたものだ。 着いた先は畑が連なりさほど遠くない所に他の農家も有り、想像した様な山の中では無く安心した。 そんな幼い頃を思い出しているオレを乗せた列車から、今度は18才の時1年間酪農実習でお世話になった竹田牧場が見えてきた。 IMG_1901.JPG 午前11時半過ぎ札幌到着。 午後は5時頃まで地域交流牧場全国連絡会の顧問として会議に出席する。さほど責任の無い立場なので、その後本来の目的の忘年会が始まると我を忘れてメンバーとの会話が弾む。 忘年会なるものは2年ぶりの事だ。 そして翌日帰宅。 22日は農業委員会の忘年会。 24日は佐々木畜産の社長らと焼肉屋で昼食兼忘年会。 26日は36区実行組合の年度末総会兼忘年会。 そうそう、今年の忘年会の始まりは16日に札幌と釧路の従兄弟を帯広に呼び、辰巳鮨で刺し身と鮨をつまみながらビール、日本酒から始まったのだ。 2年ぶり! 矢張り元気とは有難いものである。 阪大での先端医療に導いてくれた帯広厚生病院の小山先生、ハートシート移植を施して頂いた阪大の澤芳樹教授や堂前先生に忘年会に出られる心臓を取り戻して頂いた事、心から感謝です。
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2017年12月17日(日) 18:10

男の子女の子

昭和30年代、それまで荷物の運搬の用に供されていた大八車に代わり、リヤカーという金属のフレームとスポークリムにゴムタイヤ履きの荷車が流行った。 IMG_1867.JPG 薪や沢山の鳰、牧柵の杭、大量の青草や乾草など人間が一度に運び切れない時には重宝したものだ。勿論子供も一緒に引いたり、後ろから押したりと手伝いをさせられた(決して進んでの手伝いでは無かったが)。 IMG_1871.JPG そのリヤカーにまつわる苦い思い出がある。 私の通った帯広西小学校は国道38号線沿いに有り、その学校の北1.5kmの所に我が平野の母なる十勝川が悠然とながれている。又学校の南にはその支流の帯広川が流れていて、そんな地理的要因か小学校高学年の遠足は何れかの川に行く川狩りが恒例で子供達の楽しみな行事の一つだ。 その時は十勝川行きだった。クラスでの事前の話し合いも皆熱がこもっていた。どんな遊びをする?水泳パンツは?焚き火で作る昼ご飯は何にする?その材料は?焚き付け、マッチなどを忘れたらそもそも煮炊きが出来ないし、暖がとれない!最悪だ! 最後には、自分で手を挙げたのか指名されたのかは覚えていないけれど、それを運ぶためのリヤカーをオレが出す事になった。そして当日、夫々割り当てられた物を持ち寄りオレが一里の道を引いて行ったリヤカーに荷物を積み込み、勇躍いやワイワイガヤガヤと十勝川の河原へと向かう。 日本手拭いですくったカジカのこどもの釣果を競い、河原を掘った水溜りにいれたり(あのカジカのこどもは今頃どうしているだろう⁉︎川に戻さず帰って来てしまった様な...⁈)、水切りをしたり。一時間ほど思いっきり遊んだ後いよいよ昼食作りだ。玉石を集めてかまど作り。男の仕事だ。しかもご飯用とカレーのルー用と二つ準備。米を研いだり、野菜を刻むのは女の子だ。火加減は女の子の指示で足りなくなりそうな薪木を集める。役割り分担はハッキリしていたな⁉︎ カレーは ハッキリ言って、マズかった!(この記憶は確かだ!) そして国道の北の生徒は学校に戻らず、三々五々別れて帰る。 学校で解散後オレは、一人空になったリヤカーを疲れ切ったやせ馬の如くトボトボと引いて帰るが、何故か無性に寂しく悲しかった。 数日前、11才下の妹の小学時代も同じ様に川狩り遠足があり、矢張り家からはリヤカーを提供したそうだ。 違うのは、妹は女の子!という事でクラスの男子数人がリヤカーを借りにきて、更にその荷台に馭者の如く乗って帰ってきたとか! なんだかなぁ。この違い⁈ その時の自分を慰めてあげたい!
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2017年12月16日(土) 07:45

選択

今朝も雪降りだ! よく?降る! 晴天率ナンバーワンの称号が泣くぞ! IMG_1890.JPG 今朝の道新の6面読者の声欄に「巡航ミサイル導入に疑問」との投稿に目が行った。防衛省の説明は、今緊迫している東アジア情勢に対応して国民の生命財産を守る為には必要不可欠な戦闘能力で、且つ相手の攻撃能力圏外から自軍のパイロットの安全を確保しつつ対応出来る物、と言う。 片や、攻撃能力の高い装備を導入すると隣国などを刺激し、疑心暗鬼を招くと言う。 何れも正論! あなたならどうする? 選択、難しい⁈ そう言えば2、3日前沖縄県普天間基地に隣接する小学校の校庭に米軍ヘリの窓枠が落下したものの、幸い怪我人も無く良かった。では済まない。又々米軍基地の県外移転派が勢いずく。 普天間基地の危険性は早くから日米の認識する所であり、20年程前橋本龍太郎総理大臣の時代に辺野古移転が決まっていた。 歴史にifは無いと言うけれど、その合意通り移転していれば少なくとも今回の様な"窓枠落下事件"は起こらなかったはず。 危険だから移転しろ。しかし県内では駄目だ!辺野古のサンゴ礁を破壊するな! 窓枠落下などという前代未聞の事態から子供達を守ると言う喫緊の課題を解決せず、20年間放置していると言う県外移転派の不作為も問題だ。 話しを矮小化する訳では無いが、我々の人生の幸不幸も日々、時々刻々、選択した結果か⁉︎
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