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十二代目 宇右衛門の廣瀬文彦が語る ウエモンのよもやま話

2023年2月 9日(木) 06:49

心友

 ふりさけ見れば我が人生、農家に生まれ農業を生業としてはや70年が過ぎ、今はそれもリタイヤしている隠居の身だ。

扨、我が家の目の前の市道は芽室町との境界道路。所謂国境地帯だ。
その国境⁉︎を挟んで数百メートルの所にもう一軒酪農家がある。
その○○牧場は隣りとは言え芽室町なので、行政的やJAでは全く接点はない。
父や祖父の代は知人程度の付き合いだったし、同年代の子供は自分の2つ下を頭に娘が4人いると言う程度の認識しか無かった。

 自分が勝農酪農科を卒業し、早来町の竹田牧場での実習を経て就農。数年を経ずしてそのM牧場の娘婿と言う人との立ち話から、付き合いが始まるのだ。
多分トラクターで初めてすれ違った時、おおこいつは○○牧場の婿さんか?噂には聞いていたが取り敢えず初対面の挨拶位とトラクターを止め、どちらからとも無く「宜しくお願いします。」
そして一言二言言葉を交わすと、その○○牧場に入婿した△君は勝農酪農科の二級後輩であり、彼も又自分と同じく早来の山田牧場に2年ほど実習に行っていて、
その早来でオレの事は聞いて知っていると言うではないか。
噂の内容の好悪は分からないが、同じ様な経験をした者同士意気投合し今に至るのだ(今迄気持ち良く付き合えたので屹度悪い噂ではない⁉︎)。
折に触れ畑の隅で一緒に一服したり、牛舎を訪ねたり、作業機を貸し借りもした。
また、牛乳余りで生産乳の一部に食紅を入れて廃棄したり、国の補助事業についても使い勝手の良し悪しを論じたりなど
時宜に即応した話しで常に盛り上がっていた。

 昭和63年に彼の牛舎が失火で全焼した時には、咄嗟の判断で全頭預かり、1週間程、家の牛達と交互に搾り、バルククーラーも別々にして出荷した。
 そんなことが有って以来より秘密めいた家族の話しなどもするようになったし、
うちの婿はいつも廣瀬の息子と行き違う度に立ち話しで仕事が進まん!と斜に構えて気難しい△君の義父(○○牧場のオヤジ)も
それ以来なにくれと無く立ち寄ってくれる様になった。
 
 お互い年を重ね還暦を過ぎる頃から、自分が拡張型心筋症の診断を受けた後もいろいろはげましてくれるし、
今度は彼が胃癌になり胃を切除した後抗癌治療を続けていた矢先今度は違う場所に転移している事が判明。
早い内の手術を勧められているそうだ。
 
 50年間お互い適度な距離感で付き合って来たが、昨年12月以来会っていない。そろそろ様子伺いをしなきゃと思っていた。
年が明け、2月になる頃から△君の様子が気になっていた。そんな折の昨日午後体験教室で本を読んでいると、
入り口の引き戸をソロっと開け片目でこちらを伺う男がいるではないか。
逆光の中、目を凝らして見ると、何と△君ではないか。
年をとり病を得てからは、自分にとって△君は、かけがえの無いない心友である事に気づいた!


 

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2023年2月 3日(金) 19:19

なに?これ!

 「くよくよするな!めそめそ泣くな!節分過ぎれば陽はまた昇る!」
昔、ラジオから、人生相談?か、占いの番組で斉藤セイホウさん?が毎回叫んでいた声を
思い出す。
そう、今日は日本全国節分。
と言う事で、部屋や廊下に潜む鬼を追い出す為、孫が落花生を数粒ずつ撒いていた。

 その落花生を割って食べようと割ったら...27D34709-2828-4812-8D2B-FE4EE6782665.jpeg
なんじゃこりゃ?真っ黒⁉︎
新種の落花生か⁉︎
薄皮はやや焦げ臭がするが、美味しい。

 

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2023年2月 2日(木) 15:09

はつばあちゃん

 昭和38年2月2日早朝、小学1年の妹が「兄ちゃん、はつばあちゃんが死んだみたいだよ」と
部屋に飛び込んできた。未明のまどろみの中での妹の声に「えーッ、まさか⁉︎」と言いつつ布団の中でグズグズしていると、
妹は焦れたように「兄ちゃん!ホントだっては!早く早く!」と急きたてる。
妹のただならぬ様子に漸く跳ね起き、階下のばあちゃんの部屋に行くと、緑ヶ丘の開業医でかかりつけ医の
佐藤先生が診に来てくれていて、丁度家人に臨終を知らせている所だった。
 はつばあちゃんは明治9年生まれで私の曽祖母。
数えで88才の高齢であったが、耳が遠いくらいで病気知らず。前日の晩御飯では
「おいしい、おいしい」と洋皿一杯のライスカレーを平らげていたので、はつばあちゃんの死は
余りにも突然すぎて、信じられなかった。
 おばあちゃん本人も、自分の死に気付いていないのではと思うくらい、穏やかな顔をしていた。
 
 時は1963年。東京オリンピックの前の年で自分が小学5年生。
丁度60年前の今日の事だ。
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2023年1月31日(火) 16:04

長章さんご苦労様!

 帯広物語り。
一つの幕が降りる!38CE90F8-E9A3-4862-9E57-056D230BD2BF.jpeg

バトンを次の世代に繋ぐ事が出来なかった無念さが...9621E575-9E9A-421E-8A7E-7C6E5D4342CE.jpeg

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藤丸で1月12日から16日まで開催されたmilk@ natural cheese fairに出店させていただいた時、
会場を確認する為回って来た長章さんと、社長として最後の写真を撮らせて貰った20CB05F8-ADB0-48F4-B817-F00C951662B2.jpeg
長章さんは昭和63年、私がJCに入会した時の理事長であり、家内の実兄の亡片所幸一とは大親友。
又平成2年には長章さん始め10名程のJCメンバーと共に10日間程、統一されたばかりのドイツ旅行に
私の代わりに眞由美を連れて行ってもらっている。
長章さんはそんな友人でもある。
13日、イベント会場では長章さんは「後20日程になってしまいました。万感胸に迫るものが有ります。
寝付かれない日々です。」と話していた。

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2023年1月28日(土) 06:52

紅毛碧眼の中国空軍パイロット

 昭和12年(1937).盧溝橋での一発の銃声から日本軍と蒋介石軍が衝突。
しかしだんだんエスカレートし、日支事変として蒋介石逃げ回る後を追いかけ、中国内でどんどん戦線が拡大していく。
日本は明治以降幾度となく大きな戦いを繰り返していくうち、航空機を使った戦いを世界に先駆けて
編み出して行く。
当に蒋介石が逃げ回る先々、南京や重慶など中国大陸での戦いに爆撃機を投入、大活躍した。
それに対して蒋介石軍も、持っていなかった空軍を突如繰り出し、空中戦を繰り広げる。
 その戦いで中国軍機の操縦士は、殆どが紅毛碧眼の白人ばかりだった。

自国の利権を最優先に考え中国を支援するアメリカは、蒋介石の空軍力を組織し支援するため、自国の操縦士を退役させ新たに義勇軍を創設。
航空機と退役軍人を蒋介石軍に供与。
昭和16年に米英に宣戦布告する遥か以前から、日米は中国の空で戦っていた。
歴史は、宣戦布告も無しに真珠湾奇襲攻撃を行った卑怯な日本とレッツテルを貼っているが...
いずれが卑怯か...


そして80年後、ロシアとウクライナの宣戦布告なしの戦いが始まり、NATO諸国のウクライナ支援
が拡大。
そしていよいよ戦車の供与が始まる。203421FB-36BA-4A7B-AFD9-CF38547EB9B2.jpeg
ロシアとウクライナ、何に正義があるのか分からないが、欧米のやり口、同じ事の繰り返しだ。
140両の戦車に退役軍人が乗り込み、ロシアと戦っているのか?

日本と中国の戦いかと思いきや、世界各国の思惑でコントロールが効かなくなって
第二次世界大戦となっていったが、まさか第三次世界大戦にエスカレート⁉︎

80年たった今も早期解決に向けた人類の叡智は働かないらしい。

国連がsdgsをいくら訴えても空念仏だ。

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