廣瀬津与
今年のNHK大河ドラマ「べらほう」。
主人公の蔦屋重三郎を演じる横浜流星の超江戸っ子ぶりの演技が素晴らしく
5週目の今夜も楽しみだ。
昨夜風呂上がりにテレビをつけると、夜9時からNHK BSで「浮世絵ミステリー」、
サブタイトルに「べらぼう・歌麿と蔦重」と言う番組が始まっていた。
今期の大河ドラマの主人公蔦屋重三郎が喜多川歌麿や東洲斎写楽を発掘し
浮世絵を大々的に広めたそうだ。
その番組の中で重三郎の生い立ちにも触れられていた。
彼の墓は東京台東区東浅草正法寺にあり、映像に映ったその墓誌に実母の名前が見え驚いた。
名は津与で、生まれは江戸廣瀬氏と有った。
翻って我が廣瀬家は所謂美濃衆で、1400年代から廣瀬氏を名乗っているので、
蔦屋重三郎ては絶対無縁とは言いきれない。
こじつけがましいが、
我が家の系図の中に江戸表に出たと言う人物も幾人かいると言う事が記されている。
因みに今大人気の女優広瀬アリス、すず姉妹。
姉のアリスちゃんは「銀の匙」、妹のすずちゃんは「なつぞら」で私自身酪農の演技指導をするなど
因縁浅からぬ仲ではあるが、残念な事に姉妹の苗字の「広瀬」は只の芸名。
全くもって血縁関係は無い。
誠に残念!
しかし、蔦重は...
インディアンカレー
道新14面
「道東 ソウルフード 探訪」のコーナー
帯広市民で知らない者はないインディアンカレーが取り上げられている。
文中から
創業は1968年とあるから小生高校2年生の時で、半世紀いや60年近い遥か昔の話したが、
記憶に間違いが無ければその創業年に食べに行っている。
昭和42(1967)年に帯農に入学し、一年間は実習寮生活。
翌43(1968)年4月からは学校までの6.7kmを自転車で通い始める。
そして冬。雪が積もり始めるといよいよバス通だ。
行きは緑ヶ丘で乗り換え。帰りは帯広駅前で乗り換えと言う通学の日々だ。
そんなある日、駅前の藤森食堂の横に「インディアン」という安くて美味いカレー屋ができたらしいぞ!
と言う事で同級生に連れて行ってもらったのが初めて!
中々外食なんてした事のない時代。
冒険心と罪悪感のないまぜな感覚でそのカレー屋に足を踏み入れた。
衝撃的なうまいカレーに驚くと共に、店の作りや照明などの雰囲気までも
まざまざと思い出される。
それから50余年、内地住まいの息子達も帰省の折など家に帰る前にインディアンカレーで
腹ごしらえしてから帰って来る。
母の味よりインディアンの味か⁉︎と思いきや、同社のHPには
「帯広で2番目においしい店」と記されているそうだ。
そのココロは「1番は食べ慣れた家庭の味。外食する際に最初に選んでもらえるのが
インディアンだと嬉しい」だそうだ。
憎いね〜、このヤロー!
徳島市
姉妹都市徳島市の子供達が来帯中。
広瀬牧場では早速酪農の話やアイスクリームつくり体験だ。
最後にプレゼントアイスを食べ終わったらすぐ、男の子達は僅かな雪をかけあったり大騒ぎ。
ふと振り返ると女子チームは小さな雪だるま作りだ。

夜そのミニ雪だるまを見に行ったら

シルエットが何とも言えず、可愛い!
記憶と符合
今朝(2024.12.25)の業界紙2面、「農政の舞台裏」から

「飲用乳価の潮目」
「量販店 安売りが契機」と小見出しが目に刺さる。
1982年の事。
スーパーの巨大なバイイングパワーや販売力によって牛乳が「目玉商品」として安売りされるようになってきた。
ダイエーの中内社長は「原価を割って安売りしていない。不当廉売には当たらない。
われわれに安く持ち込むメーカー側に問題があるのではないか。われわれは損はしていないし、
消費者とっては安い方が良いだろう。」と答えたそうだ。
その頃、十勝酪農対策協議会総会では地元選出の国会議員を呼んで、酪農家の窮状を訴える場面が毎年続いた。
1980年代後半の事。
窮状を訴える酪農家に対して、十勝管内足寄選出の代議士S氏は「今や酪農は守られる時代では無くなった。
国際競争力をつける為乳価も下げるべきだ。でなければ、日本酪農は生き残っていけない。」と言い、
安い餌を海外から輸入し、規模拡大などスケールメリットを生かすような経営努をすべきだ、とも
その通り時代は進み、結果、輸入飼料は高騰して経営が悪化して離農が相次ぎ、つい先ごろ一万戸を割ってしまった。
酪農と乳価について、当時ニュースにも取り上げられていた。
記憶では、取材を受けているスーパーのバイヤーが「少しでも安い食料品を提供するのが
我々の使命で、牛乳も例外ではない」と話していた事を今でも鮮明に覚えている。
安く売っているのはメーカーだろうと居直るダイエーの中内社長、
少しでも安い物を提供するのが我々の使命と、買い叩いている事を言外に匂わせているスーパーのバイヤー。
そして海外の製品と対抗できる様な安価な価格形成が必要と言い張る代議士。
消費者は元より小売りや、農業地帯選出の代議士こぞって安価な食料をと言う時代。
そんな酪農を取り巻く環境を、自分は注視していた。
その頃から読書傾向が、農、食、環境、歴史や地政学まで目に付くまま買い込み読み進めるようになった。
そんな時出会った言葉が「宇宙船地球号」だ。
人類の住む地球は、唯一無二の存在で、「この宇宙船地球号に乗っている者全員がクルーで乗客は1人も居ない」と言う言葉に圧倒された。
まず農業を続ける事が、自分に出来る社会貢献。加えて「持続可能(サスティナブル)な農業を実現するには消費者の共感、協力が必要」ではないか。
その結実が1991年(平成3年)、「ミル(見る)キングパーラー」の建設だった。
その結果、安心安全な農業、再生産可能な農産物価格などに興味を持つ消費者の如何に多い事か、知らされた。
大勢の消費者から広瀬牧場の牛乳乳製品を飲みたい、食べたいの声を受けて
1999年(平成11年)、ジェラートショップ「ウエモンズハート」を開設。
初年度から4万人を超えるお客様を迎える事となり、食への関心の高さを窺い知る。
時は移り、大言壮語の中内社長率いるダイエーは無くなり、海外の安い飼料をどんどん使って
国際競争力をつけなきゃいかんと言っていたS代議士の言う通りの農政の付けが30年後の今、
飼料の高騰で酪農家の離農が相次ぎ、結果今年とうとう1万戸を割り、牛乳の自給率も減少局面に入ってしまった。
消費者の支持を受けている広瀬牧場ウエモンズハートは今の所、厳しくとも何とか経営が続けられている。








