自覚
昨日午前、家内に付き合って帯広厚生病院に行って来た時の事。
「あっ、広瀬さん‼︎」と向かいから歩いて来た看護師から声をかけられた。
マスクを付けている為「ハイ⁈」と怪訝そうな目で見つめると
「オグラです、すごく元気そうですね!退院して何年になります?」
「ああ、小椋さんかぁ」
以前、厚生病院に入院時お世話になった看護師の小椋さんと気づき
「阪大でハートシート移植を受けたのが2017年なので、8年以上前ですね。」
「もうそんなになるんだ!当時、小山先生が診ていた拡張型心筋症の患者さんは、廣瀬さんを入れて4人だったけど、
廣瀬さん以外の3人は全員亡くなっているんですよ。」
「ええ〜、そうなんですか?」
右隣が小椋看護師
50代後半から息切れがひどく、喘息ではと数年間3カ所の呼吸器科に通院。
その3カ所目の帯広厚生病院呼吸器科の荻と言う若い先生が、
「廣瀬さん、これは呼吸器では無く心臓かもしれないので、循環器の方で詳しく調べて貰いなさい」と、
循環器科の方に紹介された。
そこで1ヶ月弱の検査入院の末、「特発性拡張型心筋症」と言う10万人に3〜4人のひてが発症する
難病である事が判明。合わせて「余命5年」との宣告も受ける。
その後、担当は小山先生に代わってもらい、CRT-Dと言うペーシング機能を持ったペースメーカーも
左胸に移植。
しかし悪化の一途を辿っていた3年後の65才の時小山先生から、ハートシート移植の治験を始めていた
阪大病院の澤芳樹先生を紹介していただき、藁にもすがる思いで即入院。
2017年5月8日、8年前の事だった。
澤先生と言えば、今年4月から半年間大阪夢洲で開かれている大阪万博の日本館で
ips細胞でできた「人工心筋」が展示されているそうだが、その細胞の生みの親だ。
それ以来初めて会った小椋看護師さんに偶然お会いし、
同じ難病で治療を受けていた他の3人は全て心臓移植を待たずに亡くなっていた事をお聞きし
自分の幸運を思うと同時に、こうやって生きている事は当たり前では無いのだと、背筋が凍る思いだった。