ホーム > ウエモンのよもやま話
オンラインショップ

十二代目 宇右衛門の廣瀬文彦が語る ウエモンのよもやま話

2023年1月25日(水) 18:16

バス移動ナウ

 午後5時42分帯広三条高校前で北海道バスに家内と2人乗車0A8E5F14-47E3-4155-A000-4FAD9173C288.jpeg
写真は車内の家内とガラスに写る自分だ。明後日27日に札医大受診予定なのだが、前日入りを常としている為
その前日、つまり明日午後JRで札幌に行く予定だった。
しかし、日高山脈から西は大荒れで既に今日午後からJR石勝線は全面運休となったため、
万が一明日もと考え、急遽バスに飛び乗った。とは言え道東自動車道は十勝清水と穂別間は
吹雪の為通行止めとなっている。
車内のアナウンスでは、札幌到着2時間遅れとの事だが...
今清水で左折し、日勝峠にむかっている。

19時45分、日高道の駅でトイレタイム
丁度2時間。結構速い!

20時46分、鵡川穂別インターから道東道に乗る。
急カーブは無く、振動も少なく、やはり走りはスムーズだ。

20時59分.夕張インター通過、有料道路だけあって、楽だ!
その夕張を過ぎた所では、追い越し区間ではあるが、他社の都市間バスが追い越していく。
身を預けている北海道バスは動じる事無く、安全運転だ。ありがとう!

21時35分.道央自動車道に合流。
夕張辺りから、バスのワイパーも必要無く、路面には積雪も無いもよう。
後小一時間か⁉︎

21時46分.北広島インターを降りる。

22時45分.ホクレンビル北に到着。下車。そこから2丁南にあるラーメン屋奥原流久楽があり、
そこで夕食を摂り、23時30分定宿にチェックイン。 

長旅だった。

LINEで送る
2023年1月24日(火) 18:45

クロ現

 NHKの番組「クローズアップ現代」では、"牛乳ショック"ー値上げの舞台裏で何がー
と言うタイトルで、酪農の現状が24日再放送された。

 酪農業界は今、離農者続出。
全国で14,000戸しか無い酪農家の内約400戸がここ一年間に廃業している。
2020年2月、Covidー19と名付けられた新型で未知のコロナウイルスが日本でも確認され、
蔓延を防ぐ為かつて無い行動制限に伴いステイホームが推奨され、海外との観光停止、学校や職場では在宅、リモートで授業や仕事、飲み会までも
と言う時代になった。
 その影響で学給の牛乳消費、中韓の旅行者による食事や乳製品のお土産、更には外食の激減などにより、
牛乳乳製品の需給は緩和。牛乳余が深刻さを増している。
 そこに加えて、ロシアとウクライナの戦争で、食料や飼料となる穀物の輸出が止まったり、輸送コストが上昇。
需給バランスが崩れ、価格の高騰を招いている。
つまり、濃厚飼料頼りの日本酪農はモロに影響を受けて、喘いでいる、と言うよりも瀕死の状態だ。

 さて、コロナでのパンデミックとそれに続くロシア、ウクライナ戦争は酪農危機の引き金になったにちがいない。
しかしこれ程までに酪農業界に瀕死の打撃を与えたのは、10年程前からインバウンド奨励策で
訪日観光客が2,000万人、3,000万人を超えた。そして目指せ5,000万人と言われた始めたあたりから、
乳製品の不足が常態化。それに対して国は補助金を付けてまで規模拡大推進政策に舵を切る。

好機到来とばかり補助事業に飛びつき悲鳴を上げる酪農家。
投資の回収がほぼ済み牛乳廃棄と言う生産調整の嵐の過ぎるのを静かに待つ酪農家。
また、2022年700万円の赤字の上23年は更に1,100万円の赤字が予想され、
失意ではあろうが簡単に廃業を決断する25才の若き酪農家と、経営移譲したばかりであろう口惜しさの滲み出た61才の父親。

 多額の投資の回収に見込みが立たず呻吟する酪農家。体力を温存し耐える酪農家。そして耐える事なく簡単に経営放棄する酪農家。
それぞれ三様の酪農家を上手く表現していた。

さて我が家は如何に⁈

 

 

 

LINEで送る
2023年1月23日(月) 15:00

啄木鳥と雀

 老両親との食卓での話し。
昔々、ハツばあちゃんに「悪さばっかりしていると、キツツキのように自分で木に頭を
カンカン打ち付けないと、エサが食べられ無くなるんじゃ!」って言われた話しをしたら、
間もなく96才になるオヤジが話しの全貌を聞かせてくれた。

ハツばあちゃんが言うに
「スズメの顔をよく見よの。
クチバシの下や頰が黒くなっているじゃろ!
昔むかし、あるスズメが、親が亡くなったとの知らせを受けた。
一刻も早く親の顔が見たいばっかりに、
顔の化粧や歯に鉄漿をつけるのももどかしく、慌てて逢いに出かけた。
それでスズメは嘴の下から喉にかけて鉄漿が流れた跡が付き、
頬にもついてしまったそうな。」

「それに引き換えキツツキは、親の訃報を聞いても親に会うよりもきちんと化粧や身繕いを優先して、
慌てる様子も無く出掛けて行ったそうな。
そんな親不孝なキツツキはそれ以降、エサを食べる時は、木に頭をカンカン、カンカン
と、打ちつけないとエサが食べられなくなったんじゃ。
親不孝をしたキツツキは、あ、イタタ!痛た!と思っても、自分で頭を木に打ちつけないと
エサが食べられ無くなったんじゃ。」4E931371-4632-4D5F-BD25-3436DDCCEBDB.jpeg
(コンクリート製の電柱のステップ用のネジ穴をつっついている。)

それに引き換えスズメは
「慌てて出かけたもんだから、顔も煤けたまま。
頬やアゴに鉄漿の跡が残るザッシも無い顔になってしまったけど、
人間様もよう口に出来ない米を真っ先に食べられるんじゃ!」

と、「兎と亀」や「猿と蟹」の様に、啄木鳥と雀が対になった話だったんだ。

明治9年生まれのハツばあちゃんの思い出を語れる。
何と幸せな事か。

LINEで送る
2023年1月21日(土) 09:37

キレイ。だけどジャマ!

19日15cm.そして今日も同じくらい雪が降った。C6722D48-4E30-4649-809A-D94C6882CE52.jpeg
7A083EF0-348C-4240-8989-30A5D026A33B.jpeg
翌日には晴天になり、雪を乗せている木々と抜けるような青空とのコントラストが幻想的で美しい。
子供の頃から大好きな風景だ。
が......
現実は除雪をしなきゃ。
吹雪こうものならサイテー
今朝は風が出てきているが、酷くならない事を...
と、遠く過ぎ去った現役の頃を、思い出している。
暖かな部屋の窓から...

LINEで送る
2023年1月17日(火) 14:09

阪神淡路大震災

 今日は令和5(2023)年1月17日。
阪神淡路大震災から丁度28年の歳月が流れたと、朝からTVニュースで流れている。

28年前とは平成7(1995)年の事だ。

 「その一報」は、帯広厚生病院の一室で聞いた。
当時はまだ42才で牛飼いの現役だったので入院中で有りながらも、毎日午前4時前には
目を覚まし、ラジオを聴いていた。
 その日もラジオをつける。
そして深夜放送も終わり、午前5時半からは『エノさんのおはようさ〜ん』が始まった。
始まって間もなくMCの『エノさん』が突然「...たった今東京のスタジオが揺れ始めました。
地震の様です。......中々収まりませんねぇ⁈...しかし、余り酷くはならない様です......。」
そして番組が再開され、各地の震度が時折情報として流されていた。
一時間の番組の中でMCのエノさんも「この地震は、名古屋から関西方面にかけてひどくなっている様です。」
更にエノさんの声は、「不思議な事に大阪から兵庫、特に神戸辺りの情報が入ってこないです。
何か有ったんでしょうか?」

「さあ時刻は間も無く6時半になります。この辺で『エノさんのおはようさん』は時間となりますが、
地震の情報は引き続きこのチャンネルでお伝えします。ではまた明日」と番組が終わった。

 この後、詳細が判明して続々と被害がテレビなどでも報じられはじめると、ヘリコプターなどによる
上空からの映像にことばを失ってしまった。

 神戸市安佐地区上空からは、倒壊した住宅地のあちこちから火の手があがり、又、数百メートルに渡り高速道路の
橋脚が折れて倒れ、うえを走っていた車は元より、下を走っていた車列の上にその橋桁が落下し、車はぺちゃんこ。運転者は圧死。
目を覆うばかりの甚大な被害が報じられていた。

入院期間中毎日24時間、ヘリによる上空からの神戸市の被害情報がテレビから流される。
 倒壊した家、ビルなどから奇跡的に助け出される人。
 ニュースでは「72時間以内に助け出されなければ、生還の可能性は限りなくゼロに近づく」などと
専門家の意見なども流れてくる。
消火設備は壊れ、また瓦礫が散乱していて消防活動も遅々として進まず、人が生きていられるで有ろうその72時間の間にも
発生した炎はずんずんと瓦礫の海をツナミのように拡がっていく。
その映像は恐ろしく、まるで生き地獄。息苦しくなった。

 さてその時、何故自分は入院していたのか?
前年春に受けたJAの検診で、右の肺の映像に小さな「影」が認められ、詳しい検査を勧められた。
痛くも痒くもないので半年間放置。12月中旬精密検査を受けると、その肺の「影」が
大きくなっていると指摘され、さらに三日間程の検査入院をした。
CT.MRI.更には肺へのカテーテル検査(死ぬかと思うくらい苦しかったが、死ななかった)
そのカテーテルは肺の「影」の部分が癌かどうかサンプルを採取する為だったのだが、
結局採取は出来なかった。
担当医の説明。
肺の「影」は多分肺の外部に発生していると思われる。
そして春から半年後の映像では「それ」は大きくなっている。
一刻の猶予も無い。
診断は、肺の一部を切除しましょうと言うものだった。
善は急げですが、間もなく正月で病院は休みに入るので、年明けの1月4日入院
7日手術と行きましょうとの事だった。年明けとは当に平成7年の事で、阪神淡路大震災の10日ほど前だった。

 さて右肺の下葉を切除し、サンプル検査の結果...

癌じゃ無かったとさ!
何でも、肺の一部が化膿していたとの事。
それじゃ、切らなくても良かったのでは!との私の抗議に担当医は
「原因不明ながら化膿槽があった。そしてそれが万が一破裂すると、化膿菌が体中にまわると敗血症に
なる可能性が大きいので、切除した」そうだ。

 肺の切除前は、牛を追って走り回ったり、トラクターを取りに1キロ以上走ったり、ソフトボールやスキー或いは簡単な登山なども付き合い程度はやっていた。
しかしその後は、息切れなんて言うものではなく、呼吸困難に直ぐ陥り、運動制限せざるを得なくなった。
左右五葉に分かれている肺の一つを切除すると言う事は、単純に考えても肺の機能が20%減少している。
苦しい筈だ!

 毎年阪神淡路大震災の日が近づくと、「癌」かもとの濡れ衣を着せられ、肺の5分の1を切除した結果として今も続く呼吸困難と共に
息苦しさを感じる。


 

LINEで送る

2025年6月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

バックナンバー

最新記事

カテゴリー