出羽守 尾張守
「ポリコレ」についての書籍を2冊読んだ。
一冊は、小浜逸郎著「ポリコレ過剰社会 2022年1月1日初版」
もう一冊は、福田ますみ著「ポリコレの正体 2021年12月10月第一版第1刷」
この本の副題に『「多様性尊重」「言葉狩り」の先にあるものは』とある
ポリコレとは、ポリテクトコレクトネスの略で、「政治的正しさ」と言う意味で、
社会的に弱き少数者の権利を保障す(守る)べき、と言った様な事らしい。
欧米(では)LGBT(性的少数者)の権利を守るべきだ、と言う動きが盛んだ。
例えば、アメリカ(では)性的多様性を考慮し、大衆に向かっては「ladies and gentlemen」では無く
「everyone」でなくてはならない。と言った具合だ。
例えば、アメリカ(では)弱者である黒人を「ブラック」と呼ばず「アフリカンアメリカン」
と呼ばなくていけない。
だから我が日本もと、他者の例を引き合いに出して物事を語る人の事を「出羽守」言う様だ。
又、「尾張守」とは、物事に対してすぐ悲観的になり「終わった」「おしまいだ」と嘆く
事。
2冊の本を読むと、ポリコレの究極は、ことばを自由に使えなくなる窮屈な社会に
なる恐れがある
百日祝い
昨年9月5日、三男宅に男の子が誕生した。
孫4人目にして初めての男子だ。少なくとも将来廣瀬氏を名乗ってくれる存在は
有難いものだ。
昨年末の12月27日に百日を祝う予定だったが、その三男一家がコロナに感染して
身動きが取れず、大晦日になって我が家に到着、年越しを無事に済ませたのである。
そして生後百(余)日の記念写真をお袋の実家である、御影の若原写真館に撮りに出かけた。
ハーイ、こっちだよ〜〜
スズを鳴らしながらカメラに移動するオジサン(私の従弟)を、子供の目が追う...
はーい、終わったね。キレイに撮れたよ。ご苦労さん。
はぁ⁈シャッターチャンスなんか有った?子供の目線はいつ揃った?
いつも間違いなくキチンとした写真を作ってくれるので、手抜かりは無いとは
思うのだが...
仕上がりが楽しみ!
重ねて言うけど清水町御影本通で御影郵便局のすぐ北隣の、若原美術館です。
昨年は95才と92才になる両親が、自分達の遺影も作ったが、毎夕仏壇の前で読経
する度、自分の遺影を眺めて満足げに頷いている。
謹賀新年
2023年が明けました。おめでとうございます。
去年大晦日(と言っても昨日の事だが)カレンダーを新しいものに掛け替えた。
○○kk.△△商店.JA△▽.と今年も沢山の頂いたカレンダーの中から「字」が大きく
遠くからも見易い月捲りの物を選んで壁の定位置に掛けた。自分の隣りでカレンダー
の品定めをしていた、間もなく96才になろうとしている父が、どのカレンダーを見ても
「2023」しか書いていないなぁ⁉︎
何?と聞き返すと、今は令和だよな。令和だと何年になる?と言うではないか。
このメーカーは小さくて見えにくいが、01の横に2023としか書いていない。
この会社は2023の下段に、近づかないと読めない様な小さな字で「令和5年」と、
書いては、ある。
そう言えば、令和に入った頃から日本の年号が目立たなくなっていたなぁ。
どう言った風潮なのか?
「アメリカ、では。」「EU、では。」と言っては、それらが国際標準だから
日本も合わせないと出遅れると」言う様な「出羽守」方式の考え方なのか。
江戸時代末までは世界史の中の日本と言う考え方は無かったから、何の痛痒も
感じなかったが、明治以降は世界史に於ける日本と捉えると、昨今の元号を隅に置くと言う
考え方も理解出来ない訳では無いが...
昭和27年生まれの古希人にとっては、日本の元号を西暦に直す作業は煩雑では
あったがしかし、応仁の乱、承久の乱、天明の大飢饉といった様な歴史的事実を
元号で習った事実も捨てがたく、世界標準、ではと言った「出羽守」論で、日本の
元号は薄れて行ってしまいそう。
追伸
出羽守、尾張守と言う言葉は、昨年夏に読んだ本で知ったばかりで使い方は
ぎこちないがこの言葉については、後刻説明させて頂く。
暇人
先日、稚内の友人にねだって、エゾシカの角を送って貰った。
彼は毎年牧草地でエゾシカの角を20〜30本ほど拾うそうだ。春になると自然に脱落するものなので、
対で見つかる事はないとの事。
扨、ねだったのはいいが、どうやって飾ろうか。
よくお世話になっている喫茶店「繪麗」にはこんな風にして飾ってある。
金を掛ければキレイな仕事はできるんだが...
おっと、閃いた!
「なつぞら」にも出演した輸送缶を利用して見た。
如何ですか?
オレって暇人⁉︎
一筋の光明
今般、ホクレンと乳業メーカーの間で、生乳取り引き価格のキロ当たり10円の値上げが合意された。
実施は来年4月以降の予定だが、酪農家にとってこの決定は、大きなクリスマスプレゼントでもあり、大きなお年玉だ!
もう55年も前の帯農高在学中の農業経営科で、3、5、7と言う比較数字を習った。
これは酪農、畑作、水稲のそれぞれの所得率でこの数字を目標に経費や借金を考えなけれはいけないと言うものだ。
5は畑作、7は水稲。我が酪農はこれらより少ない3を目安に経営しなさいと言われた。
帯農酪農科に入学する前年の昭和41年(1966)に一元集荷多元販売と言う考えの下
乳価の不足払い法が成立し、それまで乳業メーカーの言いなりだった乳価に対して、
国が平均的な生産費を算出し、持続可能な酪農経営ができるよう導入された法律だ。
資材等の市場価格をきちんと加味してくれるため、安心して規模拡大などの投資が
し易くなり、酪農は現在の様な大規模化が進んだ。
しかし、乳価算定については、様々な要因が絡み合うようになり、(GATTによる農産物
の自由化)国際競争力をつける為乳価を下げろ!と言い出す地元選出の代議士がいたりと、
補給金算定も随分と厳しいものとなっているのが現状だ。
そして牛乳乳製品の需給緩和が続くと言う現下の情勢で有りながら、来期10円値上げは
ロシアとウクライナの戦争により穀物や燃料が高騰し、最初に書いた所得率3割どころかマイナスになっている
まだまだ足りないが状況を鑑みた価格設定で大歓迎だ。