マイルストーン
拡張型心筋症を患い、余命宣告された6年前、我が人生最初で最後のマイカーを購入した。
71年の人生を振り返って見ると、トラクター7台は自分名義で24時間365日いつでも
制限無く乗れたし、ファームダンプ2台と軽トラも自由に乗れた。
しかし乗用車となると、オヤジ名義、家内名義、息子名義に嫁名義ばかりで、自分が自由に出来る
車は持った事が無い。
さて会議などスーツで出かける事もまゝあったが、空いて居ないと軽トラが愛車だった。
ここまで、人生の恨み節では無い。
自分にまで乗用車を持つ甲斐性が無かったのと、それ以上に贅沢品を持つ趣味が無かっただけだ。
さて60才半ばを越えて人生最後の贅沢とばかり手に入れたその車が今月の札医大受診の帰り道、国道274号線の樹海ロードを走行中、
積算走行が100,000kmを超えた。
札幌から96kmを示す所で99,999kmになったので安全な路側に停車し、取り敢えず記念撮影
扨、あと1キロでジャスト10万キロだが、安全に停車出来るところは⁉︎
おお、トイレも備わっている休憩用駐車場が、あるじゃないか!
記念すべき100,000km。
先月24日、この車で阪大病院の澤先生に会いに旭川まで出かけた。
この車で月一の札医大受診は元より、北海道の全ての海岸線も走り抜いたし、各地の温泉も巡った。
本当にお世話になりっぱなし。
200,000km目指して元気で我々を連れ回してくれ!
温暖化?
庭の辛夷が咲き始めた。
市内では2〜3日前から桜も咲き始めているようだ。
足元に目を向けると
チューリップが一輪
水仙は花が揃い始めている
ボケも花芽が色付いているが、寒くて足踏みか?
何れにせよ、早い!
地球温暖化?
テッペン NOW
10日〜12日の予定で稚内に行って来た。
10日午後6時から帯農酪農家第1期生のクラス会に参加する為で、十勝組6名はワゴン車のレンタカーで、その日の朝8時過ぎに出発。
稚内市を右折し海岸沿いに宗谷岬に向かう。
岬からUターンして、400km強を走破して午後5時過ぎ、会場となるアルメリアに到着した。
一風呂浴び、宴会が始まる
帯農酪農科入学からはや55年の年輪は隠せない。
翌日は日帰りで礼文島へ。朝6時10分発のフェリーで片道2時間。結構遠い。
礼文島では漁師と民宿を経営しているクラスメイトの義理の姉夫婦一家にお世話になり島を案内していただいた。
礼文最北端スコトン岬だ。
昼食後島唯一の温泉に浸かり、午後4時25分発のフェリーで稚内に帰港。
翌日朝7時30分過ぎ帰路に就くが、先ずノシャップ岬へ
次に今回の幹事をやってくれた稚内市抜海に住む友人宅を表敬訪問
その後カーナビに逆らいつつ我が家に無事到着
55年も経つとそれぞれ角も取れ、譲り合い、お互いを労わりあい乍らの旅だった。
一生(お互い残り少ないが)忘れられない思い出が出来た。
雌阿寒雄阿寒
4月3日、久しぶりに釧路に買出しに行ってきた。
おちこち、ようよう春めいて来たこの時期。阿寒周りで釧路に向かった。何年ぶりか?
阿寒湖の手前では、荒々しい活火山でもある雌阿寒岳と右側には阿寒富士が見えて来た。
家内と愛車も入れて改めて、パチリ。近づき過ぎたか...かあちゃんゴメン!
そして間もなく阿寒湖畔へはいる。観光客で賑わっていた!景気回復の兆しが阿寒でも...
遊覧船乗り場は未だ閉鎖中。湖岸付近は解け始めているが、まだまだ氷が張っている。ワカサギは居るかな?
湖畔からは優しい雄阿寒岳が見える。
ワカサギの天ぷらで昼食を済ませ一路釧路の和商市場で魚類を仕入れ、帰宅する。
半世紀
昨日はオレの誕生日。
ウエモンズハートのスタッフからのお祝い
夕食はしゃぶしゃぶパーティ。孫たちに一輪ずつのカーネーションももらう
バースデーケーキのロウソク火を一吹き消すのも手伝ってくれた
幸せな1日だった。
閑話休題
その夕食時、息子が「先日往診に来た獣医が、広瀬さんとこの牧場の冠名はliberty hill farmと言うけど、広瀬牧場の東側の一角が
帯広市自由が丘と言う住所なのでその町名に因んで名付けたのかって聞いて来たんだ。そこでオヤジに聞いた記憶は帯広市の町名変更以前かららしい、
と答えておいたんだけど、間違いない⁉︎」と聞いて来た。
オレは何の逡巡も無く胸を張って「勿論さ」と答えておいた。
思えば我々が後継者となった昭和40年代は、牧場環境も綺麗で家畜を家族同様に扱う米、加の酪農がモデルで憧れたものだった。
その牧場達の殆どが冠命(愛称)を付けていた。例えば、ローマンデール、ラウンドオーク、ハノーバーヒル、ラングエーカースなどなど」
オレも随分考えたのだが思い浮かばず取り敢えず広瀬牧場の看板は上げた。
当時何とか親父のくびきから逃れたい一心で日々働いている中で、「自由」と言うキーワードが常に頭の中にあり
それを冠名に入れたいとは思っていた。
高校時代の和英辞典で自由を見てみると、リバティ、フリーダム、アウトローなどが出て来た。
その中でlibertyは歴史や社会ルールを守りながら且つ自由を作って行くと言う様な意味と知り、
意味のスマートさに惚れ込んだ。
つぎにhillは言わずもがな。オレ達の居住している場所は旧帯広市では唯一高台になっている場所で
明治から大正期にかけては、「分監高台」と呼ばれてもいた。
つまり、自身が生まれ育った運命(くびき)から逃れられないのならせめてオヤジからは離れた自分の牧場にしたいと言う意味のリバティと
居住地の地形に由来するヒルを組み合わせたものだ。
この冠名は何処に登録されている物ではないのだが、そうと決めると同時に広瀬牧場で生まれる全ての牛をホルスタイン登録協会に登録の際、
このliberty hillを頭に付けるようになった。
今でもこの冠名を息子は使っているようで嬉しい。
50年近く前、命名当時のオレの心情を知らない様だし、夕食時、老父を前に説明する話しでも無く、
言葉は飲み込んだ。