これ何て言うの?
昨日の朝、畑から湯気が立ち上っていました。
ウエモンズハートのスタッフが出勤途中に珍しい風景なのでスマホで撮って来たんですけど、これはどう言った現象なんですか?と質問を受けました。
スタッフも、男64歳百性歴44年、子供の頃の手伝いを含めると半世紀以上の百性経験者であるこの親父に聞けば疑問解決と思ったのでしょうか?なんの買い被り・・・!「昔から雨上がりの翌日、早朝から晴れて気温がグングン上昇する日によく立ち上る湯気なんですが・・、正式名称は知らず。今日は朝から畑に湯気が立ち上っていて温かくなりそうだね。農作業に精を出さなきゃ!!」なんていつも気合を入れられていました。
スタッフの期待に反してこの現象の正式な名称を知らず、Googleで(春先畑から湯気が立ち上る現象)と入力したら"地霧"と出ていました。出現条件は雨が前日に降ったり畑を耕起した翌日など畑の表面に充分な水分があって、尚且つ早朝から好天に恵まれると出るので百性の息子としては朝から追いまくられる恐怖の一日の始まりでした。これはどういう現象なの?何て考える暇もありませんでした・・(いやあ幾つになっても恨み節になってしまいます、私的には、万に一つの例外なく確実に一日中畑に拘束される"恐怖の霧"とでも表現できます)。ま、しかしこの年になって清濁併せ呑める様になってみると、長閑でうららかな春先の気持ちをふっくらと包んでくれる霧です。
重ねて言います。「恐怖の霧」ではなく「地霧」です。ハイ・・・
太一君
友人を紹介します。今を去る事49年前蝦夷農、もとい帯農に一緒に入学した太一君です。もう65歳です。当時から何となく気が合う中で今はしょっちゅうメールのやり取りをしていますが、昨夜喜びのメールが飛び込んで来ました。英語の教師をしている下の娘さんから「今度の連休に結婚を決めた人を連れて行くので・・・」と電話があり、全く予想だにしない寝耳に水の話(嬉しい場合はそういう表現はしないのか?)で嬉しかった。姉娘もつい先月入籍したばかりで刺激されたのかな?でも全く気が付かなかった!」らしい。
今は高学歴からか晩婚化が進み30歳を過ぎないと結婚しない人が多くなったような気がします。私の親父(89歳)の時代は「二十歳ババア」と言ったらしい。我々の時代は「25歳くらいまでは結婚したいね・・」と言っていたっけ。すると今は30過ぎが当たり前か。私どもの次男坊も年には不足は全く無く、親としても心の準備も万端なんですが・・・
兎も角おめでとう。
干支
JA信用部貯金課で貯金の謝礼に出している干支の貯金箱です。正確なことは忘れてしまいましたがもう40年ほど前からでしたかネ・・・
先日妹の孫が小学校に入学したのでお祝いを届けに行って来ました。新一年生とその下の4歳の子は女児。末っ子は男児で1歳3ヶ月。母親とともに実家に来ていたので、皆で大騒ぎ。
妹の家では大画面のテレビの前に上のような12種揃った干支の貯金箱が並べてあります。見ていると1歳の子がその貯金箱をつかんでは放り投げて遊んでいました。「あ~あ、バラバラにしちゃったら、元に戻せないよ!」なんて言っていると、1年女児が「大丈夫だよ。え~と、これが子(ね)でしょ。次は丑(ウシ)でしょ。とら、う、たつ、・・・・・と並べるじゃありませんか。「じゃあミユメは何年?」「ミユメはトラ。おじいちゃんもおばあちゃんも、お父さんお母さん、妹も皆知っているよ!!」と言うじゃありませんか。
初めて孫の出来た我々夫婦もそれには触発され、あちこちに散らばっている十二支の貯金箱を探し出し、掻き集めてきて並べてみました。そして暇があれば「これはネズミさん」「これはウシさん」「これはトラさん・・・・・・・・」などと意味不明な言葉しか出ない孫と呪文のように唱える日課が始まりました。
夜は夜で曽祖父が唱えるお経さんもしっかりと聞き耳を立てて、聞いているのでそのうち口からひとりでに出るように成るかも。89歳の父曰く「これで彦の代までお経さんを上げて貰える」と、夜の御勤め読経にも一段と力が入っているような・・・・
山林
つい先日、中札内村の元更別地区と南札内地区の航空写真が手に入った。画面右上の道路が交差する辺りが上札内市街で、画面左上に札内川が、その南に走っている道路が南札内のピョウタンの滝があります。画面右の方に黒い太線で囲んである所が、我廣瀬家の山林と牧草畑です。少しアップしてみると・・・
下部は約20ha、上部の変形した所は18haの牧草地と22haの山林が有ります。戦前から10haの山林を所有していましたが、ここ十年余りで50ha程買い足して今の規模になっています。
小学5年生の頃祖父に連れられて林道の修理に一週間ほどかび臭い山小屋に泊まったことがあります。でも当時から山小屋は谷川のほとりに有り、せせらぎの音が本当に心を和ませてくれたものでした。
そして突然数年前の話ですが、5月の連休明けに山菜を取りに我が家の山に入ってみると・・・・
なんと飛行機ではありませんか・・・
なんと横に回ってみても飛行機です。しかも2人乗りです。これは地元の愛好会が所有する軽飛行機で、不時着の原因は近くの小さな滑走路を飛び立ったとたんプロペラに鳥が衝突し、そのプロペラが損傷して推進力が無くなり不時着したそうです。プロペラを取替え翌日には飛び去っていきました、とさ!
上記地図に元更別東一線と書いてある所に山小屋をこれも数年前に新築しました。
これは2棟目の山小屋で、ソーラーシステムで電灯はつき、地下水も汲み上げることが出来るので、ユニットバスまで付いた山小屋です。89歳になる父はこの山小屋に来て泊まる事を唯一の楽しみにしています。林道の雪解けの遅い所に融雪材を散布したりしていたので、今年も早々と雪が溶け、一昨日、今年初めて車で山小屋にたどり着けたそうです。
いつ山開き(家族で山小屋に行きジンギスカンをするのが恒例)をするか手ぐすねを引いている今日此の頃です。
深夜の電話
今朝未明、家内の携帯がけたたましく鳴った。午前1時半過ぎのことです。
「今、家が潰れちゃった!たった今!どうしよう!!ネエお姉ちゃん・・・!?」
「家が潰れたって、又地震?大丈夫?」
「又すごく大きいのが来て、とうとう潰れちゃった!ワァ~~」
「子供達は大丈夫?あなたは?そんな怖い所捨てて帯広に逃げてきて・・!」
熊本県菊池市に住む、家内の幼馴染で妹のように仲良くしている女性「サッチャン」からの悲鳴の電話でした。
14日午後10時前の第一波の時はニュースを聞き心配した家内が電話をしてみると、「家や家族は大丈夫だけど、家具家財がめちゃくちゃ散らばってしまって、どうやって片付けるか・・手も付けられないわ」と言っていました。
それが今朝未明にはとうとう家そのものが潰れてしまったそうです。
この一波の後余震自体も震度4とか5とか通常の余震以上のゆれが間断なく続いていました。そして今朝未明の地震が本震では無いか!との気象庁の担当者の話が流れていました。そして震度7で始まる前震に続きこの本震によりとうとう家まで潰れてしまったんですね。
ここ十勝も昔から地震が多く、地震の怖さは体験していますが、熊本の皆さんの、地震の恐怖と甚大な被害に対し心から御見舞申し上げます。
「サッチャン、いつでも避難して来て・・・!」