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十二代目 宇右衛門の廣瀬文彦が語る ウエモンのよもやま話

2016年4月13日(水) 09:28

クラス会

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10日日曜日、高校のクラス会が開かれ出席して来ました。 

昭和42年(1967)入学組みで、今年(2016)で49年目を迎えた仲間達です。

SN3V0279.jpg新入学時40名だったクラスのうち死亡6名、行方不明(音信不通)2名。生き残り32名の内の14名が出席しました。

紅顔の美少年達も約半世紀の風雪に耐え、見るも無残?な姿になってしまいました。

後列右から2人目のオヤジ?は高校卒業以来初の出席となり後から来る者達からお前は誰だ?と、誰何を受ける始末。でも地元に戻れば従業員140人ほどの製造業を営む社長様となっていらっしゃるとか・・・。急にわざとらしく言葉使いを改めてしまいましたが、額も程よく後退し、肌の色艶もよく、喋りも滑らか!また前列左から3人目、こいつは(いやいやこの方は)高校の教師を定年まで勤め、今では孫の面倒を見るのがシゴトなんだって・・・・!この二人は生きることの苦労が足りず、なんとも我々百性組とは若干人種を異にする面相でした。

後は稚内、根室、中標津、伊達と管外組みが4名。そんな仲間達が午前3時半頃まで大騒ぎ。まだまだ若いのか?

さてここでクイズ。私廣瀬文彦は何処に写っているでしょうか。

1次会の終了間際の午後9時、次回の幹事と開催地を決議し2次会に突入・・・・・、だったとさ!

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2016年4月10日(日) 10:25

36、64、89

今我が家には四世代が同居しています。1歳の子は置いといて、全員が酪農にかかわり、酪農で生計を立て、酪農に生かされてきました。江戸に三代住めばもう"江戸っ子"って名乗れるくらいですから、我が家は"?ベコッ子?"かな?

酪農と言う共通の仕事で生計を一にしている"オヤジと息子"の関係は他には想像しがたい葛藤、競争心、安堵感、が綯い交ぜになった空気感が漂っています。その難しい"オヤジと息子"の関係を簡素に表現したものをネットで発見しました。転載させていただきます。

SN3V0266.jpgSN3V0267.jpgSN3V0268.jpgSN3V0269.jpgSN3V0270.jpgSN3V0271.jpg SN3V0272.jpgSN3V0274.jpgSN3V0275.jpgSN3V0276.jpg本日のタイトル36,64、89は長男、私、父の年齢です。自分自身に当てはめてみて、全くその通り、正鵠を射ているとはこのことです。私と息子の関係はと言うと、「30歳、父さんの意見も聞くべきだな!」くらいの関係でしょうか。まだ「真っ先に父さんの意見を・・・・」の心境では無さそうです。また私と89歳の父との関係はと言うと、お墓の前で「60歳、父は本当に博識だった。今ここにいてくれたら、もっと彼から学べたのに。」辺りでしょうか。父はまだまだかくしゃくとしていて、「今もまだここにいてくれるので」、もっともっと学ばなければ!(こんな事が臆面もなく言える私って大人だね?!)

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2016年4月 9日(土) 10:29

春を拾う・・

  今朝は雨の予報にもかかわらず、寒いと思ったら気まぐれ程度のチラチラ雪が、、、暖かかったり寒かったり、三寒四温です。

そんな中、運動がてら庭先を歩いて、いくつか春を拾って来ました。

SN3V0259.jpg福寿草です。

SN3V02630001.jpg名前不知:これも誰に褒めてもらうでもなく、花を開かせています。

SN3V0261.jpgチューリップです。

SN3V0262.jpgニラじゃなくスイセンです。

SN3V0264.jpgピントが合わず見ずらいですが枝の根本に花芽が色つき始めています。画面上部の木の幹には昨年のボケの実が干からびた状態でしがみついていました。

福寿草の後にはチューリップやスイセン、それに続き桜、コブシ、レンギョウ、エゾムラサキツツジそして石楠花やレンゲつつじが咲き誇ります。・・・その頃には牧草畑もすっかり緑の絨毯宜しく疲れた目を和ませてくれます。

春爛漫はもう直ぐそこです。

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2016年4月 8日(金) 16:55

失われた一年・・

一年前の3月26日、動悸、息切れ、呼吸困難などの症状で緊急入院し、4月の今頃AED搭載のCRT-Dの植え込み手術を受けて一年になります。

SN3V0019.jpg病衣の姿で偉そうな格好の私ですが・・・、これは11月に一ヶ月半再入院し、家内に誘われて病院内ある喫茶店に行った時の写真ですが・・・

病名は特発性拡張型心筋症と一昨年10月に入院した時に言われた病名です。そのときは進行性の心臓病なので無理はしないで下さい。5年生存率は76%です、とも言われました。そして無理せず大事にしていたけれども、進行して再発し3月末の再入院となりました。そのときの診断は心筋症がより進行し心房細動の発作の危険が著しくなり突然死の可能性が非常に高い。よって絶対安静にし、状態が安定した所でCRT-Dの植え込みが絶対に必要で、この機械の特徴は24時間心臓の拍動を助けるペーシング機能と心房細動など発作が起こると即反応して電気ショックを与える機能も搭載されています。

CRT-Dの植え込みの後、自分の普段の拍動とぴったり合うまで、非常に辛かった。そしてまた薬も突然のように15種類ほど毎日飲む羽目に・・・・。そしてその薬も体に合わず、吐き気と食欲不振、そして点滴の連続、まあ辛い入院となりました。一科入院3ヶ月ルールで6月末にはいったん退院するも、2週に一度の定期受診の他には家出寝たり起きたりで、社会と隔絶された生活でした。

11月にはまた入院をし、なんとか平成28年を迎えました。

季節もようやく春めいてきて、継続歩行の距離(息切れせずに)も少しずつ伸び、何となく気分の良い日々を迎えられるようになりました。

この一年社会から離れ自分の体のためだけに生き、家族もまた私の体調を第一に過ごしてくれました。まだまだ日常生活に多くの制約があり万全ではありませんが、幾つかの役職の会議などに復帰したりはたまた牧場体験の申し込みが相次いだりで生きている実感がします。

家族や主治医をはじめ全ての人々に感謝です。

失われた一年と言うよりも、後残りの人生をより豊に生きるためのリハビリ期間の一年でした。

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2016年4月 7日(木) 16:39

友人B,C

  今日は朝から家内の定期受診に付き合って、総合病院に行って来ました。

まあ、何でこんなに患者さんが・・と言うくらい居るは居るは。と、言ってもこちらもその一人ですが!?朝8時45分に受付をして、検査をしてその結果を待っていよいよ受診と言う流れですが、受診が終わったのが午後1時少し前。4時間以上の待ちでした、みてもらうはずの病状も悪化してしまいそうでした。まさに、娘さんらしき人に付き添われた車椅子の高齢のおばあさんも苦しいらしく、呼吸のたびにウ~ン、ウ~ンと弱々しくうめき声を上げていました。可愛そうに・・・・

そんな中検査の順番待ちの家内と私の前を友人Bの「〇藤〇男君」が車椅子で、通り過ぎるでは有りませんか。

SN3V0258.jpg慌てて、「どうした?」と聞くと、心臓のカテーテル検査に行くところ!だって。時間に追われているようなので、終わった頃を見計らって入院病棟に彼を訪ねてみると、昨年腰痛の治療の最中に冠動脈の狭窄が見つかり、入院してカテーテルで狭窄部の治療をしたそうです。そして半年経過して検査入院し当に今日、カテーテルで冠動脈の造影をして病状の進行具合などを検査したようでした。と言う事で本人は至って元気でしたが、同い年の友人もまた、自分と同じように心臓の病で治療を受けていたとは・・・・・。

その後、車の中で家内の診察を終わるのを待っていたら、「〇川〇男さん」が今通り過ぎて言ったよと診察待ちの家内からメールが入るじゃありませんか。

今度は友人Cです。

SN3V0257.jpgこちらは高校時代の同級生。

彼は肺がんの初期と言う事で抗がん剤の投与と言う治療を受けています。毛の抜けた頭部を隠すように毛糸の帽子を目深にかぶり、白血球の減少による感染症予防のためにマスクを掛けて院内を奥さんと移動していったようでした。

20年30年前だと夜のネオン街で千鳥足で歩く友人に会うことが度々ありましたが、最近はネオン街に繰り出す事も無く病院で友人に会うことの方が多くなり、ばったり会っては病気自慢・・・。あるいは他の友人達の病気情報の交換などをする始末。

なんとも早・・・・

この次は、冥土への旅の途中に「いよぅ、久しぶり!」とか、「お前はいつからこのたびに出たんだ?」「さっきお前の奥さんに会ったけどお前未だ?」などと言った会話になるんでしょうネ!

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