揖斐
11日から千葉県船橋市のイオンでミルクランド北海道の催事があり、ソフトクリームの販売に合わせてミルクランド北海道アンバサダーの黛えりかさんと、オレが酪農家を代表してのトークイベントに出演した。その効果もあり昨日はソフトクリームは長い行列が何時間も続き、皆様にはご迷惑をお掛け致しました。
さて、催事は今日が最終日なんですが、家内達にまかせて早朝より船橋を出て今養老鉄道で揖斐にむかっています。
名古屋で乗り換え...
揖斐では上善明寺と廣瀬勲さんを訪ねる予定。
無罪?放免
台風24号の影響で1日早く帯広を出発したが、今月1日予定通り阪大に検査入院。
入院当日の夕方、懐かしくてホスピタルパークに出てみると、矢張り大阪、まだまだ汗ばむ暖かさだ。幾つかの検査を受け、昨日病状説明が宮川先生からあった。状態としては1月の半年検査から大きく悪くなっている所は無いそうです、が、矢張り動き過ぎと、加えて体重のコントロールをして下さいとキツく言われた。この病気は状態の良好さが続いていて、耐えられなくなると、ガクンと悪化し元に戻る事は出来ないんですよ、と!直後は、胸にしっかりと刻んで帰るんですが...
何れにせよ、好結果を持って今日帯広だ!
涼しいい⁈寒い‼︎
百年誌
今、200頁を越す本の作製が佳境を迎えている。あ〜〜、忙しいわ〜!
何たって6月のひと月、来年放映される予定のNHKの朝ドラ「なつぞら」の酪農指導を依頼され、付き合わされたのが運の尽き。11月23日完成予定が年内へと1カ月がのびてしまった。
あっ、スミマセン!
ダラダラと言い訳がましい話しから始まり、なんの話し?と怒られそう。
本邦初公開⁈ こんな表紙の本を作っています。
サブタイトルにある様に、我が廣瀬家が岐阜からここ十勝に移住して今年100年を迎えるに当たり、何か記念になる本を作らないかと父に持ち掛けられ、今年の2月頃から取り組んでいるものです。
この本のタイトルは「賢者は歴史に学ぶ」とした。この言葉の前には「愚者は経験に学び」と有る。先人達の失敗や成功からこそ多く学ぶ事がある、と言う意味だ。子や孫たちの人生への参考書になれば、此れに勝る幸せは無い。
この本は4章に分かれている。
第1章は「今昔」とし、初代初次郎が北海道移住に際して迷わず百姓と言う職業を選択し、今の広瀬牧場に到っている。その農業の今を過去と対比し変遷を表現した。91才になる父の書いた年表も分かりやすい。
第2章は「大河」である。
廣瀬家は百年5代に亘り百姓を続けているが、自分の過去を振り返ると、すんなりと百姓と言う川の流れに乗れたかどうか甚だ疑問で危ういものだった。
30年ほど前、10年間十勝川の筏下りに参加していた。そのコースの後半には十勝川と帯広市民の生活用水として使われている清流、札内川の合流点がある。そこを過ぎると、驚く事に茶色い十勝川の水と透明な札内川の水が混ざる事なく、並行して流れていた。そのまま500mほど下り川のカーブの所で漸く一色になって、何事も無かった様に悠然と十勝川は流れていた。平坦に代替わりが出来なくとも100年農業が続いている。我が母なる川「十勝川」流れに乗ってみて初めて理解出来た。続けるという事はこう言う事か、と!
この章では5代夫々の生き様、葛藤を書いてみた。
第3章は「渡道以前」である。
旧家ともなかなか言えない廣瀬家ではあるが、我が家には600年位前までなら間違いなく遡れる系図がある。その系図に載っている先祖の名前が記されている古文書が、出身地岐阜揖斐川町の町史に何枚か掲載されている。又、600年前の先祖は武士を捨て、天台宗の僧侶になりさらに蓮如上人に出会って浄土真宗に改宗し、いま現在も同町に上善明寺として威容を誇っている。
そんなこんなで、古い系図がある事により様々想像を巡らすのも楽しいものだ。
最後、第4章はストレートに「系図」だ。
これは3部に分かれいる古系図と、我が家にある300年に亘り存在する位牌を参考に一本の系図として完成させたもを掲載した。
自分にとっても初となる大作だが、何せ本気で推敲を重ねて文章を書いたのは40数年前、当時の彼女に書いたラブレター以来だから、内容は推して知るべし。
居直っている訳では無いが、完成が待ち遠しい⁈
M&C cafe
何て事無いハヤシライスの写真だが、M&C Cafeと聞いて、「あぁ、丸善の4階にある喫茶店」と分かる人は、オレにとってなんと無く身内の様な親しみを感じてしまう。
9月25日にアップした、天童市訪問の帰り道の事なのでニュース性はないのだが...。その天童市訪問翌日24日新幹線で午後1時過ぎ東京駅に到着し、JALに搭乗する迄4〜5時間有ったので、丸の内側にあるOAZOに立ち寄る。食後の薬を飲むのも病を得てからの大事な仕事なので、エスカレーターで真っ直ぐ件のカフェに飛び込み(待たされる事が多いが...)ハヤシライスとアイスコーヒーを注文。出て来たのが写真の一品だ。オレにとってoazoに有るこのカフェはoasisだ。洒落て言っているのでは無く、東京砂漠の中のオアシスだ。
と言うか、成人した頃から喫茶店は繁忙を極める酪農に従事する様になってからは、親の目を逃れ息抜き出来る唯一の場所、心のオアシスだ。
喫茶店の遍歴は高校卒業前後に始まり、当時は帯広ステーション2階の純喫茶「飛鳥」に良く通った。その頃はコーヒーの味もわからず、砂糖を沢山入れて飲んでいたっけ。飛鳥ではスパゲッティのナポリタンが絶品だった。オレにとってナポリタンの味の基準は飛鳥で、他の店に入ってそれ以下だと落胆したものだ。否、今でもだ!
もう少し成長してから通ったのは東四条に有った喫茶「樹林」だ。青年団の先輩に連れられて行ったのだが、すぐに此処も大のお気に入りとなった。店内で流れる雑音的な音楽を聞きながらここではカウンターに座り、マスターとの会話が楽しかった。しかし、それまで雑音にしか聞こえ無かったジャズが突然心地よい音に聞こえ始めた。オレがジャズの魅力に開眼した瞬間だったが、童貞を失った程の衝撃だった。名前は忘れたが、マスターは店では黄色いサングラスをかけ、車はブルーのマーキュリーと言ったデッカな外車に乗っている所謂トッポイお兄ちゃんだ。しかし、当時3Kと言われた酪農についても凄く興味を持ってくれ、色々な事を聞いてくれる聞き上手な人だ。いつもの様にカウンターに陣取った。頼んだコーヒーを出してくれたマスターが、「この前、早朝広瀬さんの牧場を訪ねたら、朝もやの中にのんびり佇む牛達が幻想的で、街の喧騒の中にいる自分にとっては宝の様な風景だった」と言っていた。酪農の応援をしてくれている様で嬉しく、今でも心に残る一言だ。
同じ頃通い始めたのが、柏林台の「しらかば」と近くの「グルービー」。西3条の道時計店の地下の「無有」と書いてナウと読ませるピザのとびっきり美味しい喫茶店。そして東8条の教育会館の一画に有った「絵麗」。ここはチキンの唐揚げが美味い。何れの喫茶店もスタバやドトールといった今風な喫茶店と違い、マスターやその奥さんの人柄が、その店の雰囲気やコーヒーのスパイスとなって心地良く99%は独りで行ったものだ。
その喫茶店の一つで当時のガールフレンドにも思いの丈を伝えた。
さ、もう止めとこっと。何せもう66年も生きているのでキリがない。
さてoazoのハヤシライスより、女房のが一番だ!
今日も検査で飯抜き。
腹が空いたのか、食べ物に話題が言ってしまうが、そこで買い求めた「百姓から見た戦国大名」(ちくま書房)は、わが廣瀬家が分立した足利時代の時代背景が詳しく述べられていて、引き込まれた。
1470年代に天上寺(現、揖斐川町上善明寺)として歴史に登場し、我が家の基礎を作った廣瀬家胤のちの空道法印始まる時代のもので、記憶力の弱いオレとしては、付箋を沢山貼り付け後刻まとめて見たいものだ。
遅い昼ご飯を頂き、喫茶店の話から離れる事が出来た⁈
飾る
今日の十勝毎日新聞に、我が広瀬牧場のニュースが二つ紙面を飾っていた。
2面には、十勝振興局職員20人に依るウエモンズハートのジェラートの試食についてだ。
これは、来春大阪や関東で開かれる予定の物産展に、ウエモンズハートの高級ジェラートを売り出そうと言う一環で、3度目の試食になる。
さてもう一件は19面で、18日に実施した森の里小へ子牛を連れての、出前授業「子牛ふれあいファーム」についてだ。
3人の息子達の母校でも有る森の里小は現在児童271人で、1〜3年生130人の児童が参加。
教務主任の高橋先生は「酪農を身近に感じられる貴重な機会。関係かくしょの協力に感謝しながら、これからも続けて行ければ」と、教委や四つ葉乳業などへの配慮を込めたコメントが載っていた。
当日の写真だ。