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十二代目 宇右衛門の廣瀬文彦が語る ウエモンのよもやま話

2018年7月25日(水) 07:56

合同納骨式

今年は、我が家が岐阜から北海道に開拓に入って丁度100年を迎えた。
その100年近くを我が家に生まれ育ち、背負い、農業経営も孫の時代となった今は、更に100年後の事に想いを巡らせている父は91才と半年になる。
体力の衰えは否めないが、記憶力は衰えず、車の運転も峠を越えなければ十勝管内何処でも行くぞ!状態だ。
その父も数年前から、檀那寺の我が家が借りている納骨堂が過密状態になりかけていて、自分の死後お骨になった時夫婦揃って入る事が出来なくなる、と心配を口にする様になった。
出た結論は、納骨堂に納まっている六柱の先祖のお骨を分骨し、サイズを小さくすればまだまだ100年位は余裕があるだろう、と言うことだ。
と言う事で17日に事前に分骨し、昨日24日、昨年落慶法要も終えた地蔵堂に六柱分の納骨を済ませたのだ。
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祭壇だ。
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住職の講話。
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皆かしこまって。
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今年の十勝にとっては、貴重な青空の下、父の廣瀬家への思いを聞き、御斎を頂きながらしばし歓談。
我が家はこう言う行事は大好きな部類だとおもうが、妹は勿論婿殿たちも嫌がらず、率先して手伝いをしてくれる。
自分自身が大阪大学でハートシート移植手術を受けたのが、丁度一年前平成29年7月25日の事だ。拡張型心筋症の症状が落ち着いているとは言え、無理は厳禁という中で、妹夫婦には特段に感謝だ。
そうか、心臓の手術から丸一年か...。
麻酔が醒めた後の数日間、手術の部位に激痛が走り喉に絡んだ痰を出すのに、非常に苦しんだ事まざまざと思い出す。
昨年あのハートシート移植手術に出会わなかったら、次の納骨は自分自身だった⁈

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2018年7月22日(日) 07:42

買ってこよ〜っと

昨日の勝毎の紹介本に目が行った。
タイトルは「奥のほそ道」。芭蕉か...
著者はリチャード・フラナガン。ん?日本人じゃないのか⁈
「俳句と重なる戦時体制」戦時体制と言えば、国家総動員法が思い浮かぶ。
奥のほそ道と日本人にはおなじみのタイトルで、作者は外人。そして背景は第二次世界大戦時である。
このちぐはぐ感が興味をそそる。
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泰緬鉄道を建設する日本軍と捕虜の連合国軍人。
映画などでは、残忍な日本軍人と、満足な食料も与えられず酷使される捕虜と言った構図だが、その残忍と表現される指揮官も、風流にも俳句を詠む不可解さを表現し、その不可解さの中から見えてくるのは、捕える側にも捕らわれる側と同じ苦悩があるという事。つまり、日本軍側も別な意味で捕虜の身なのだ...と解説する。
このギスギスする東アジア情勢を、冷静に見つめ直しているのでは...
是非とも読みたいものだ!

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2018年7月15日(日) 15:31

ネコダンゴ

さて、何匹いるでしょう?
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2018年7月14日(土) 10:45

収穫適期

栗の花が満開だ!
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我らエゾオオマルハナバチも、書き入れ時だ、あ〜忙しい...
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がんばるべ〜!
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そーだ、栗の花ももう直ぐ終わりだしな。がんばるべ!

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2018年7月13日(金) 17:15

栗原靖校長先生

とある学校の事だ。 2学期初登校した小学1年生と担任の先生の会話。
「みなさん、初めての夏休みはどうでしたか?」の先生の問いに、
子供達は口々に「楽しかった〜!」と大声を張り上げる。
「じゃあ○○くんは?」
「僕も楽しかった!」
「何が楽しかったですか?」
「うーんと......、忘れた⁈」
なんて言う笑い話の様な可愛らしい会話が、物の本に載ってたっけ。

さて、自分が小学6年生の修学旅行は、当時子供の人気トップ3、巨人、大鵬、卵焼きと言われたが、その横綱大鵬のふるさと弟子屈に行った。今思い出せる事は生家である納屋家の横の記念館に行ったよな⁉︎と言った程度の記憶と、お土産屋さんで自分には木刀。家族にはまんじゅうか何かを買った。
中学では列車で、札幌と支笏洞爺方面だったが、何処に行ったのか記憶に全くない。
高校ではこれ又列車で東京、奈良、京都だった。昭和43年の事なので東京からは新幹線での移動だったと思うが、今となっては記憶にない。さらに奈良、京都では行ったはずの神社仏閣も記憶にない。ただ10月だと言うのに夜になってもうだるような暑さだった事に驚いた事を思い出す。そして、担任の橋本先生からは「他校の女子生徒に向かって黄色い声を出すのは止めろ‼︎」と厳命された。東京では多分皇居や東京タワーあたりだったか⁈ここで覚えているのは、東京駅から銀座迄地下鉄に乗って行こうと地下に入り、銀座行きのホームを探しているうちに、銀座の出口についてしまい、地下鉄に乗らずじまい。すごく不思議に思ったものだ。
この修学旅行で鮮烈な記憶として残ってるのは、前日夜牛に足を踏まれ湿布を付けて寝るも、翌朝痛みが無くならないのと甲の辺りが腫れ上がり、この日の為に新調した革靴が履けず、サンダルで行った事だ‼︎
ドジくささに皆に笑われながらも、最後の3日間は痛さをこらえつつ何とか革靴を履いた!
この顛末については、一部始終を鮮烈に覚えてる(詳細はnextchance!
)。
何だか冒頭の小学校1年生と変わらない。
翻って、昨日は札幌から午前と午後、二校の小学校6年生の修学旅行の体験を受け入れた。午前は北園小だ。
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十勝農楽校体験教室での北園小の生徒達。
下は写真撮影に臨む子供達と私の右隣は、今日の話題の北園小校長栗原靖先生。
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最後に活発な質問も沢山あり、驚きだった。
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そして、スタッフたちとお見送り。
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北園小の生徒達は規律正しく素直で、それでいて何事にも積極的に取り組み質問もしてくれた。何より目が輝いていたし、あの澄んだ目で見つめられるといい加減な事は言えないなと、怖さすら感じた。
酪農教育ファーム体験を受け入れを始めて久しいけれど、これだけ肌感覚の良い学校は滅多にない。何故か?
今回、引率されていた栗原校長先生と少しく話しをさせていただいた。
先生によると「北園小では担任の先生方が、十勝へ修学旅行に来るに当たって2ヶ月にわたって、十勝についていろんな角度から勉強してきた」そうだ。帯広開拓の祖依田勉三に始まり、日本の穀倉地と言われる十勝の農業や酪農について知識を深め、そこから生まれる疑問も今回は沢山ぶつけてくれた。
北園小学校の6年生のフロアの廊下には、帯広十勝のポスターまで貼って、生徒たちの知りたいと言う気持を最高潮にして、修学旅行に臨んだそうだ。
修学旅行に向けて、目的意識をしっかり生徒達に植え込んでこられた先生方のプロ意識に驚くとともに、2時間半と言う限られた時間で 生徒達の知りたいに、自分自身どれだけ応えられたか汗顔の至りだ。
出来れば学校を訪問し、事前学習したポスターなど拝見したいものだ。
午後は琴似小学校だ。

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