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十二代目 宇右衛門の廣瀬文彦が語る ウエモンのよもやま話

2018年11月25日(日) 22:26

甲斐があった!

昨日の勝毎に、第31回牛とミルクのある風景絵画コンクール(牛乳普及協会主催、ホクレン共催)で、森の里小一年生の女の子が最高賞を受賞と言うニュースが載っていた。IMG_3589.JPG9月に我が家の子牛3頭が森の里小に出張した時に、描いて貰った物が受賞ということだ。
勿論描いた女の子の絵心が素晴らしい事は言わずもがな。しかし、子牛を教材として連れて行った甲斐があった。
おめでとう!
IMG_3591.JPG

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2018年11月24日(土) 16:32

渡道百年祝賀会

その祝賀会は年が開けると92才を迎える父博昭の挨拶から始まった。
IMG_3585.jpg
妹と年子なため、早くからおばあちゃんに預けられた自称おばあちゃん子だけあって、移住当時の苦労も沢山聴いている様だ。
岐阜の揖斐から列車で移動してくるのだが、宮城遥拝の為の東京泊を含め五日かかって十勝に着いたそうだ。最初に入植した芽室村報国では、屋根も壁も藁葺きの小作小屋で床など無く、干した馬草を広げその上にムシロを繋ぎ合わせて広げた。そんなところから開拓が始まったのだが、苦労はいかばかりか⁈
続いて帯広百年記念館の学芸員、大和田努先生から講演を頂いた。IMG_3587.JPG我が廣瀬家には、所謂移住古文書と言われる古系図があり、そこには我が家は鎌足から始まりそれから25代後の家胤が出家して以来600年間お寺の住職として、現在も揖斐川町の古刹上善明寺として威容を誇っている。IMG_3423.JPG
その上善明寺の初代空道家胤次男の助之進政継から我が家は始まって、更に五代の後に分家した宇右衛門政元(〜1702)から我が家が始まっている。話しはそれたが、廣瀬家が自立した1,470年の足利時代から宇右衛門政元が更に分家する江戸初期までの、所謂戦国時代の社会の動静を話して頂いた。
いくら古系図を眺めても名前が連なっているばかりで、歴史に疎い自分にとっては非常に有意義な時間だった。
勉強の後はいよいよ懇親会。
上善明寺前住職釋 壽宣師から頂いた祝辞を読み上げ、いよいよ乾杯。
乾杯の発声は息子貴章のたっての希望で、孫の鈴にやって貰う。
鈴を刺激しない様に参加者56名全員に着席のまま促す。
IMG_3588.jpg
我が家では自分が「カンパーイ」を言わなきゃ済まない鈴も、ただならぬ雰囲気の中での発声を躊躇していたが、家族の期待に応えてとびっきり大きな声で「カンパ〜〜ィ!」
大役を終えた3歳の鈴が「あ〜ぁ、恥ずかしかった!」だって

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2018年11月21日(水) 10:10

感性と表現力

IMG_0152.JPG文字盤がコーヒーカップとコーヒー豆。
シャレてる。
IMG_1096.jpgアメリカボーイング社の新型旅客機のテスト飛行が行われた。その際の飛行コースが新型機の輪郭としてレーダー上に現れた。
アメリカ、やるねぇ!男心をくすぐる。これから飛行機の免許でも取って見るか。
IMG_1387.jpgもう一枚
IMG_1381.jpg更に...日除けになる植栽
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薪、木の枝、何処にでもある材料を活かしたレストラン。何故か落ち着く!
催事で出掛けた加古川のヨーカドーにある喫茶店の壁の絵だ。シンプルでいて斬新。ほのぼので可愛い。もう一枚。IMG_3532.JPG
IMG_3580.jpg見た目ケーキだけど、家族の誕生日に家内が作ったちらし寿司だ。
IMG_3581.JPG
いずれも自分には思いつかないデザインだが、目を惹く。
自分が素晴らしいと思う感性と絶対真似る事の出来ない表現力。昔「アマデウス」と言う映画を見たが、宮廷楽士トップのサリエリがモーツァルトに抱く感情に似ている。

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2018年11月18日(日) 17:42

搭乗案内

空路での移動は全てJALを利用する。
出発が近づくと搭乗案内のアナウンスが流れる。
「まず始めにお手伝いを必要とされる方(オレは一級障害者に認定されているから、先に乗せて貰おうか?心臓だから中々病人には見えないしなぁ⁈)、小さなお子様連れの方(孫の鈴でも連れていればなぁ⁈)、最後に妊娠中の方(あのじじい腹を突き出して居るけど、妊婦な訳無いだろう!って笑われそうだし...)搭乗口までお進み下さい。」てな訳で一級障害者の権利を主張できずにいる。

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2018年11月17日(土) 07:37

酪農家E君

大蝦夷農高酪農科を卒業したE君。親が戦後酪農を始めたり帰農二世が多い中、彼の家は祖父が大正時代中頃から牛飼いを始めた毛並みの良い酪農家の子弟、所謂酪農貴族だ。子供の頃からこき使われて体つきだけはごつい我々とは違い彼のそれは華奢でみすぼらしく、それでいて酪農についてはお前らとは違い、我が家は歴史の有る牛飼いと同級生を見下すような鼻持ちならない男だ。あれから50年。彼ばかりでは無くクラスの仲間は全て既に高齢者の仲間入りを果たしている。
オレにとっては苦手な男で、極力関わりを持たない様にして来たが、最近どうしても訪ねなければならない用事が出来、先日の午後突然訪ねたのである。
「おぅ、廣瀬か、どうした?」E君は突然の訪問者に驚きながら、用事がある旨伝えると「まあ上がれや、散らかってるけど...」。
上がり框から右手のドアを開けて先導されるがまま足を踏み入れると、唖然!ソファーの反対側には30インチほどのテレビが置かれているのだがその間に起き抜けのままの夜具が敷かれて有る。その反対側がキッチンで食卓テーブルがあるのだが、その大半がカップ麺の空器や菓子やつまみの空袋。そしてビールの空き缶などで埋め尽くされていた。
Eの父親は入り婿で数年前に、家付き娘の母親は2年前に夫々他界している。30才の頃に結婚し二女をもうけるが、数年後には離婚し、やもめをかこっていた。男やもめに蛆が涌くを絵に描いた様な風景に驚きつつも、空いた椅子に腰を下ろす。
どこから話しを切り出そうか思案しながらの訪問だったが、訪れる人も無いらしく人恋しかったのかEは随分と饒舌だ。
「自分としては結婚生活も充実していて、娘も2人授かった。毎年のように正月は大阪の実家に里帰りもしていたが、ある年の里帰りでは予定が過ぎても帰って来ない。電話をして見ると、もう戻らないと寝耳に水の離婚話。すったもんだの末別れるのだが、訳が分からない。それからと言うもの夜の帯広の街を常勤の体で歩き回る様になり、お定まりのコースで身を持ち崩してしまった。女には入れ揚げるは昼間の仕事はおろそかにするは...。そんなこんなで酒から離れられ無くなってよ!」と臆面も無く話し続けるE君。
「15町有る畑も近々売っ払おうと思ってるんだ」。「小作料や年金諸々合わせたら一人食っていく位になるだろう。未だ売るなよ!」「うん、そうは思うんだが、何せ妹が、兄ちゃんにもしもの事があったら土地の処分にも困るし、と言うんだ。」
『なるほどそう言う事か!Eにもしもの事があった時は二人の娘が大阪に居るので、妹にとって後の遺産分割が大変なんだ⁈』
浪費癖のある子と無い子はどうして違いが出来るのか?それは親の後ろ姿が大切らしいが、Eは「オレの母親は祖父さんの本妻の子なんだけど、祖母さんは妾なんだ。祖父さんは帯広に出来た乳業会社の重役をやっていて妾を囲い終いには本妻を離縁し、妾を後妻として後釜に据えたんだ。」そんな家族背景がEの家には有ったのかも。
しかし何と言っても自分みずから築き上げた訳でもないのに、酪農貴族を気取っていたE君と彼の複雑な家庭環境がE君の奥さんには耐えられなかったのか。

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