広瀬沢、4月30日
里では農作業真っ盛り。
そして広瀬沢にも漸く春がやってきました。
左の写真は4月30日。 右は4月7日です。
三週間で雪も殆ど消え、雪解け水も濁りが無くなり、手ですくって飲みたいほど澄んだ清流に成っていました。
山の福寿草も春を見つけて花盛り。今、命の芽吹き時、ハエもいとおしい?!
気になるニュース
一週間遊びほうけて、新聞に久しぶりに目を通すと、気になるニュースと広告が載っていました。
「慰安婦像の次は徴用工碑」というものでした。お互いに「反省の態度が見えない」、「国家間での賠償問題は片付居ている」、「歴史を歪曲しているのはお前の方だ」などと譲らない態度。戦後70年以上がたち、お互い所謂戦後生まれが大半と成った現在はもこの調子。仲良くしなくちゃ!!といった意識の無いところには友情も信頼関係も芽生えないものですね。個人間でもそうです。
次にこの広告です。
ペットを大事にしましょうといった啓発広告でしょう。
牧場に見学に来た子供達に買っている牛の一生で、最後には肉に売られていくという話をすると、「え~?!」といったどよめきの声が上がります。ペットと経済動物の違いの分からない若いお母さん方からもそんな残酷な話、子供にしなくてもいいのにといった非難の声が上がったりもします。
そのお肉を柔らかいとか硬いとかとか言ってむしゃむしゃ食べているのは残酷ではないのでしょうか。
「自分、家族の人類の命の意味を考えたことありますか?」
結婚式?ホリデー?
23日、三重県四日市で甥の結婚式が有り、家内と二人出席させてもらいました。
22日、出発の朝の帯広は雪でしたが、名古屋、四日市はやはり暖かかった。けれど薄手のジャンパーは必要でした。
23日の四日市は朝から晴天で、午前11時から新郎糸山久尊(甥)、新婦渡部愛の結婚式が始まりました。披露宴共々久尊は終始デレデレの様子で初々しく好感の持てる結婚式でした。40年前、約3年ほどの熱烈な恋愛の後結婚をした自分達の時を彷彿とさせるものでした?!
午後3時過ぎに披露宴もお開き。慌てて礼服を脱ぎ捨て二人手に手をとって下呂温泉へ向かったのでした。新婚旅行と勘違いしている訳ではありません。久々の温泉旅行にワクワクしていたのです。
JR飛騨線内で人身事故があり出発、到着とも一時間遅れ。りょかんにチェックインしたのは午後9時ごろ。早疲れ気味。
翌朝外観を良く見てみると、重厚な年代を感じる温泉"湯之島館"です。
この後の珍道中は又明日・・・・
空白の2日間
18日朝から季節はずれの雪
あちらこちらの畑では、冬眠から覚めたトラクターがあちこちで唸りを上げ始めていました。そんな好天続きの中友人の石川が息を引き取った。
迷信では無いのですが、葬儀日程も決まり通夜を迎える朝は早朝から雪となり夕方までには17~18㎝ほど積もる大荒れの天候となりました。
19日葬儀。
祭壇の後ろに元気な石川が隠れているのでは、と思わせる写真でした。
短大と農高時代のクラスメートから花も上がっていました。農高からの列席者は石山、市之川、小椋、菅原(幸)、高橋、谷、内藤、廣瀬(オレ)、久松、細木、渡部の11名。酪農家第一期生は40名。その内物故者は佐々木、佐藤(精)、菅原(順)、多胡、山中、渡辺。行方不明者&連絡不能、遠藤、太田、大坪、加藤、坂本、陶久、谷友。入院、青田。体調不良、佐藤(昌)、森(敏)、早坂。旅行、矢部。雪のため出席不能者は秋山、阿部、上原、川端、美馬、他です。遠方、森、高梨、浅野、他数名。
葬儀の後、繰上げ法要までの3時間、昼飯を食べながらの近況報告会。いい時間を石川は身を挺して提供してくれた。
そして20日(今朝)
雪は残っていますが、兎も角いい天気。日高山脈には少し雲がかかっていますが剣山、芽室岳はくっきり。
ウエモンズハートの庭には
コブシの花が開き始めています。
諸行無常か!