伊藤有輝先生
コロナで日常とかけ離れた想定外な事が起こる今日この頃。
今朝の道新20面、レンズで追った「新型コロナが変えた春」の中に、とわの森三愛高校教諭の伊藤、尾崎両先生が写っているではないか。
我々が20余年来実施している酪農教育ファーム活動に共感し、熱心に応援していてくれる先生だ。我々酪農家が実施する研修会に大勢の高校生を授業の一環として参加させたり、三愛高校を研修の場としても提供して頂いた事も一度ならずだ。
三愛高校での教育ファーム研修は、研修に参加した栄養学を専攻している大学生を相手に、高校生達が先生役(ファシリテーター)となり「牧場の仕事」「牛のからだ」「牛の一生」「牛乳が届くまで」などの話しを通して、牛乳の価値を伝える。
高校生は、普段は受け身で授業を受けるのだが、この研修会では先生役を務める事で大きく成長するそうだ。
研修会を共催して来た伊藤先生と尾崎先生が哺乳している写真が目に飛び込んできた。
何事か⁈とキャプションに目を通すと、朝夕世話をする酪農専攻の生徒たちがコロナ感染防止のため自宅待機になり「牛舎実習」が中断しているため彼らが本物の酪農家になっているようだ。酪農の基礎を学べるよう、あえて機械化していない牛舎での作業で「高校生の体力はすごい」と改めて感じているとの事。
コロナ禍はこんな所にも!と感じると共に、75年一日も休まず酪農を家業としている身としては、本当に恐ろしいものだ。
一日も早いワクチンや特効薬の開発が待たれる!
放牧
コロナ騒動でウエモンズハートも、時短やら臨時休業やら3密を避け或いは飛沫感染防止対策と、なんとも早コロナ情報に耳をそば立たざるを得ず、右往左往させられる毎日。
気晴らしに出かけようにも世間様は、自粛ムードに満ち溢れて行く宛も無し。
そんな中ふと我に返ってみると、ウエモンズハートで飼っている牛(餌は要らず糞尿もしないが...)の放牧を忘れていた。
ウエモンズハートで飼育している牛は飼い始めて(買い求めての間違い)約20年と、牛にしては稀に見る高齢(FRPなのでまだまだ長生きするぞ)。しかし侮るなかれ。何を隠そう、NHKの朝ドラ「なつぞら」に出演した役者さん達(草刈正雄さん、広瀬すずさん、粟野咲莉ちゃん、吉沢亮くんなどなど)が演技指導(牛への触れ方や手搾りなどの所作)の為、彼ら彼女らが「生まれて初めて触れたウシ」と由緒正しきお牛様でござる。
10日の日曜日ふと思い立ち、バイトの学生達に手伝って貰い牛の親子を草地(芝生の手入れが出来ていないだけ)に引っぱり出した(歩かないので4人がかりで持ち上げて)。ひと冬舎飼い(倉庫に放置の間違い)していた為身体中ホコリだらけ。学生達に早速牛の身体をブラッシング(雑巾で拭き取ったの間違い)して貰う。
先に放牧していた(-その内世に出るであろう-糸山笙子女史に描いて貰った壁の絵)牛達と気持ちよさそうにしていた。
こんなワタシ達をボケ〜っと見守る店の入り口の木瓜の花
ボケーっとは失礼だ。アップするとこんな花だ。
目が覚めるような真紅だ。
過ぎたるは...
今朝の日経に、被災地復興の為のふるさと納税を促すこんなロゴが...
「one for all all for one 一人は万人のために 万人は一人のために」と言う言葉がある。ラグビーのチームワークを培うための言葉として使われるらしいが、そこからヒントを得たロゴだろう、か⁈
先のロゴは「一人は万人のために 万人は日本のために」とでも解釈するのだろうか。
いずれにせよ、美しく優しい言葉ではある。
昨年末より中国武漢で発生した新型コロナウイルスが、半年足らずで世界中に広まり感染者は400万人を超えたとか。日本は本より、世界中の国々が自国内での蔓延防止に躍起だ。
「ソーシャルディスタンス」「3密」「オンライン会議にオンライン飲み会」などなど聞いた事のない「新語」で、所謂一人ひとりの社会参加意識を厳正にし、ひいては日本国に日常を早く取り戻そう、と言う事だろう。
しかし「自粛警察」なるものが街中を徘徊、自粛を強要し「ミセシメロ」などと自警団並みに粛清までやってしまう。
優しくない!
四季
劇団「四季」では無く、ビバルディの「四季」でも無い。
我が業界紙日本農業新聞の一面コラム「四季」の事だ。
コラムの初めに、映画監督大林信彦氏の言葉として「もはや戦後ではない。戦前である。」が紹介されていた。
調べてみると、前段の「もはや戦後ではない」は1956年の経済白書が初出らしい。つまり一人当たりのGNPが'55年に戦前の水準を超えたことによる、政府の自画自賛用語のようだ。'52年生まれの自分にとっては、耳の奥にこびり付いている言葉だ。無論3才の頃のリアルタイムの言葉では無く、間もなく普及し始めたテレビの国会中継で当時の池田勇人総理の答弁などで聞いた言葉だ。
しかし今日のコラムでは「...。戦前である。」と続くが、新型コロナウイルスが蔓延し収束が見通せない中、世界中の国が内向き、自国第一主義になっている現状を上手く言い当てている。国ばかりでは無く国民生活の中でも、所謂「自粛警察」なるものが横行するなど自粛疲れとも相俟って、不寛容が横行し始めている。
当に戦前。第二次世界大戦前夜のようだ。
このコラム「四季」の最後に<人は「ありがとう」の数だけ賢くなり、「ごめんなさい」の数だけ優しくなり、「さようなら」の数だけ愛を知る>とある。
けだし、至言だ。
爺バカ
孫の通う保育園では、完全な休園はしていなかったものの、我が家の孫達は今年度新学期からずーっと休んでいた。
道も地域別に自粛緩和の方針と知り、昨日から保育園に通い始めた。
「楽しかったか⁈」と聞くと孫は「うん、◯◯ちやんと◯◯ちゃんとでおママごとしたよ、楽しかったー」と、久しぶりに友達と思いっきり遊べた1日の余韻に引きずられるように、興奮気味に話している。
その後も「ばーちゃんゲームしようよ」とか「じーちゃん尻取りしようよ」などと夕食まで、片時もじっとしていない。
誘われたじーちゃんは面倒くさく「それじゃ、まず最初にじーちゃんが鈴ちゃんのお尻をとるかな!」と言うと孫は「ちがうー、そのお尻じゃなくて尻取りー!」ともどかしそうに反論してくる。「それじゃあ、誰のお尻を取ればいいのかな?」などと暫くはぐらかしていたら、諦めたのか静かになった。
数分後「じーちゃん、尻取りってこう言う事!」と一枚の紙を持って来る。
「尻取りってねぇ、ワタシが<時計>って言ったら、じーちゃんは<いす>。そしたらワタシは<スイカ>って言う風に続けるの。そう言う遊びなの!」と遊びを知らないじーちゃんに優しく説明してくれるではないか。
どこで矢印を使ってのプレゼン法を覚えたんだ⁉︎
恐るべし5歳!
そのプレゼン資料(?)を見せられ、じーちゃんは夕食まで孫の「尻取り」に付き合ったのだ!