用意万端
中々本格的な日差しが見られないまま、一番草が手こずりながらも片付き、二番草への追肥が昨日漸く済んだわが広瀬牧場。
気が付くと、小麦が色付き麦秋を迎えているでは無いか。
近づいて見ると...


適期を迎えたか、茎はまだ青い部分が残っているが、穂は黒ずみはじめている。
一昨日農協へ行くと、整備されたコンバイン達が号令をまっていた。

注油良し。ベアリング良し。ベルト良し。刈り歯も研いだ。

用意は出来た。 腕が鳴る!ってか。
分割民営化の功罪
今朝の道新コラムを読んで、膝を打った。
「リニアより北の鉄路維持を」と言うものだ
昨年末より世界を恐怖に落とし入れている、コロナのパンデミック。その対策の最たるものは、3密を避ける事だ。
その対策としてテレワークと言った「在宅勤務」、インターネットを使っての飲み会と言う「家飲み」。ネット通販。影を潜めていた首都機能の分散化も、もっと真剣に検討されるべきだろう。
様々な意味で関東、東海、関西への人口の集中は3密のさいたるものだ。
振り返ってわが北海道はと言うと、およそ540万人の人口を半分に分けると、札幌から北広島、恵庭、千歳、苫小牧とその周辺の道央地域とその他の地域に分けられるそうだ。国でも地方でも一極集中が凄い勢いで進んでいる。これでは北海道の鉄道も廃止や運行間引きもドンドン進んでいく訳だ。
民営化以前の国鉄は、労働組合が強大な権限を持ち、組合員を守っていた。今でも覚えているのは、鉄道保線員は午後5時の終業時前に身体の汚れを落とすためにお風呂に入る権利がある、無いと言った下らない案件で、労使で揉めていた。この強大な権限を持つ労組解体を主目的として昭和の終わり頃、時の政権は国鉄の分割民営化を進めて来た。
第二次大戦後、日本でも所謂「赤い風」が吹き荒れ、国家国民の為と言う公意識が薄れ、労働者主権と言う考えが蔓延していた頃の話だが、それから約35年人口の偏在が進み、地方のJRでは主目的たる鉄道事業を廃止せざるを得ない状況になって来ている。
この投書にある通りJR各社は再合併して公的鉄路を維持し、その鉄路を観光資源の主役として位置付けられないものか。
リニアなんて要らないだろう!
生活痕
元更別の山小屋では、地蔵堂の礼拝所の建設が始まった。
サイズは2間×3間のものなので、2〜3日で出来上がる予定だ。
朝からオヤジは遠足当日の朝を迎えた小学生の様に、ワクワク!オニギリが出来上がるのももどかしく、早々に出かけた。
午後からはオレも状況見学。
いつもの林道を走っていると、右手道路傍に何やら黒い物体が。
近づいてみると
そう、ヒグマの糞です。糞の塊が小ぶりなので若熊か。
クマも少しずつ生活圏を広げているようだが、共生できる事を願うばかり!
愛国
突然だが、帯広市大正町愛国地区の話しでは無い。
オレは日本と言う国が大好きだ!と言う話し!
もう半世紀以上前、ケネディがアメリカ大統領に就任する時「これからはアメリカが我々に何かをしてくれるのかでは無く、一人ひとりがアメリカに何が出来るのか考えよう」といった様な演説をした事が、有名な逸話として残っている。
後年、歴史上有名な石田三成の旗印の「大一大万大吉」も同じ様な意味合いが有ると知ったが、若い頃、オレはそのケネディの言葉に痛く感動した。それからと言うもの、この言葉がオレの人生の行動律になっている。
オレの愛国は、人類の命の源である食糧を如何に確保するかだ。
最近オヤジと共にヤマに通う様になると少しずつ分かったのだが、中札内や帯広の日高山脈の山裾の山林には、元々開拓されていた場所が少なからず有った様だ。今は重機も発達した時代。そう言った山林や周辺部を出来うる限り切り拓き、草地として利用を促進してはどうか。
十勝の酪農は規模の拡大が進み、生乳生産量が一戸あたり1,000tを超える様になり、それにつれ粗飼料の自給率も低減し始めている。また、高位収穫高を誇る換金作物の作付けも増え、農地の奪い合いがはじまっている。それらもとも相俟って農地の供給は喫緊の課題では無いか。
農業新聞を読んで思いを固くした。
オヤジ93才
今日はオヤジの付き合い。
上札内行きだ。
数日前両親が上札内元更別の山小屋の周りに熊が徘徊し、糞までしている痕を見つけてしまった。「とうとうウチの山小屋も熊に森林と認められたらしい」などと気軽にヤマに遊びに来れなくなった負け惜しみをうそぶいていた。
丁度山林を売りたい人がいるとの情報を森林組合から受けたオヤジが、下見に行きたいと言うので、山小屋の足跡確認と合わせてのヤマ行きだ。
山林を下見中のオヤジ
左が今回売りに出たカラ松林
30年〜35年生のカラ松だが、一度も間伐をしていないらしく、見るからに密でひょろひょろ。材木としての価値は余り認められない。
そんな下見を終え、山小屋へ。
足跡‼︎本当に沢山ある。しかしどう見ても牛の蹄の痕だ!オレは本格的な、と言うか牛を飼う事で生涯を過ごして来たので間違いない。オマケに落ちている糞は間違いなく「牛の物だ」。何よりも我が家の山小屋から150間南側には、中札内村村営の元更別公共育成牧場が広がっているので、牛の大脱走なんて当たり前。
しかし、間違いないと断定しても裏付けが無い。
今の時代は便利だ。中札内村にも酪農家の友人も数人いる。その中の一人中札内村西札内のM崎さんに電話(勿論携帯電話)。確認を約束してくれる。そして3時間後、公共牧場の場長を伴い山小屋へ直行、間違いなく先週日曜日に脱走した牛の足跡と確認したと、電話があった。
更にこの話にはオマケが!
この公共牧場の場長は、中札内村でいちばん仲良くしているミドリ牧場社長の息子だとか。
何れにせよ熊の足跡と思っていても怯まなかったオヤジ。93才!
老いて益々盛ん!山小屋通いはマイペースで続きそう!そして母の心配も留まる事を知らず!





