地震
8日深夜、午後11時過ぎ熟睡中ドシン、グラグラで文字通り揺り起こされた。
寝室には転倒する物がないものの、体を起こしベッドのへりに座っていると、しばらくユラユラと横揺れが続く。
思いの外長く感じた揺れがようやく収まり、高齢の両親の部屋に行くと「大っきな地震だったな」と布団を半分めくって顔を出している。
この部屋も異常無し。
居間に行き、真っ暗な窓外には長男が車を出して牛舎の方に向かって行くのが見えた。
数分後、車のライトがパーラー兼事務所の前に戻ってきた所を見計らって、電話をしてみる。
長男は「牛舎の方は、立ち上がっている牛が普段より多いようだけど、落ち着いているよ。」との返事。
牛舎の方も一安心。
さてさて、震源や震度、はたまた他所の被害は?とテレビを点ける。
北海道、東北地方の太平洋岸は3mの津波警報。
日高の浦河の町に一人住まいで脚の悪い叔母(母親の妹で90才)の所は避難勧告が出ているかも知れないが、如何ともしがたく、
両親と家内とで、まんじりともせずに津波の第一波到達時刻までテレビに釘付け。
「こんな時に十勝から浦河の叔母さんに電話する訳にも行かないよな」などと話しながら、刻々入る地震情報に一喜一憂。
思いの外潮位は上がらず、ホットして眠りに就く。

十勝は地震の多い所。
30余年前の地震では、100頭近くの牛達が音と揺れに驚いて柵を壊して雪の中を暴走した事もあった。
先ずは一安心。
土砂搬出4日目
1日の作業量は3.5~4T✖️20台
2日目

木の下も構わず土砂を掘り取り

木を倒し搬出

4日目

4日で70〜80t運んだか⁉︎
まだまだ減らない「宝の山」だ。
モグラの気持ち
昔々、ノイエルと言う建設業を営む会社があった。
我が家でも1991年のミルキングパーラーの設計を始め、1995年に住宅。
1999年にウエモンズハート。
その後もフリーストール牛舎。そして堆肥舎などなど本当にお世話になった。
手抜きは全く無く、誠心誠意を尽くした施工をする為、十勝管内でも多数の物件を手掛けている。
扨、建物を構築するには基礎工事から始まるが、その際大量の土砂が出る為、我が家の敷地内に堆積して置いた。
その土砂が今、整地用として重宝している。
その山の斜面には数十本の雑木が生えているが、構わず水平に土砂を運び出して行くと......

根が剥き出しになる......

後にも先にも2度と経験できないと思って根の下から世間を覗いて見る......

モグラやミミズの世界観か?
奴らは眼が見えないけど......
イヤイヤ、熟考してみるに、自分自身遠からず住まうであろう黄泉の国からの眺めであろうか⁉️
有馬温泉
11月18日、一泊で有馬温泉に行ってきた。
ホテルは月光園游月山荘
26年前(1999)に結成された地域交流牧場全国連絡会の第一世代の集まりが開かれ総勢17名が集まった。

ハゲありしわ有り......。26年の歳月は嘘をつかない!
各自温泉に浸かった後は宴会。
30秒の持ち時間で現況報告。
二次会はカラオケ、三次会は部屋飲みで午前様。
来年は同時期、帯広で開催となった。
今まではおんぶに抱っこ⁈状態だったけど......
大変だぁ‼️
「う」
今日は一年ぶりの阪大病院。

右奥に3階ほど高い建物が新築なった検査診察棟。
外来受診棟は新築後初めてなので、ウロウロしながらも全て終えたのが13:40過ぎ。
その後旧棟の一階にあるうなぎ屋に直行
8年前の入院時二度程食べたが、その懐かしい暖簾をくぐる。
そして鰻丼を注文。
美味かった。





