仏壇考
70年近く前の話し
ある日、おじいさんの姉が手土産を持って訪ねて来た。
その菓子折りは一晩仏壇に備えられた翌日、家族で一つずつ分け合って頂いた後、仏壇下の引き戸の付いている物入れにしまわれる。
2〜3日後、仏壇下の引き戸を開け物色している所を曽祖母に見咎められた。
「フミ、どうした?お菓子が欲しかったのか?欲しかったらおばあちゃをに言いなさい。誰も見ていないと思っても、『ののさん』が見てござるでな」
と、諭されたものだ。
その仏壇には何人ものご先祖様が居り、仏壇横には、赤と黒で禍々しく描かれた天国と地獄絵図が掛けられていた。
その前で、幾度となく閻魔様や赤鬼達の恐ろしさを聞かされていたので、おばあちゃんの言葉効果覿面(てきめん)。
古希を過ぎた今も、自分を律する言葉だ。
さて今、東京在住の三男家族が帰省している。
内孫は5年生と年長さんでどちらも女の子。
外孫は年長さんの女の子と間もなく3才になる男の子。
年長さんの2人は同い年だけあって、外孫が来れば走り回ったりお人形さん遊びをしたりと仲が良い。
そこに3才の男の子が割って入るから大騒ぎ。
5年生の内孫は少し高みの見物を決め込んでいるが、時折り姉さん風を吹かして威張っている。
昨夜ニュースを見ていると年長の内孫が「ソウちゃん、ブツダンの前でそんな事したらダメでしょ。
ブツダンの中から『ミドリちゃん』や『イワタ』さんが見ているよ。謝りなさい。」と、結構な剣幕で
ソウくんを叱っている。
間もなく3才になろうとしている従弟をたしなめている言葉を聞いて、70年前のひいおバアちゃんの言葉が思いだされた。
その言葉を受けて年長の外孫が「イワタさんって誰?」て聞いている。
ミドリちゃんやイワタさんの説明は省くが、仏壇の効果は70年後の健在だ。
リス、収穫の秋
静まりかえった早朝のウエモンズハートの前庭。
リスがエサを探しているのか
目を転じると、小さな秋が始まっている。
トチも実を沢山付けている。
クリもだ。
リスにとっても、嬉しい収穫の秋だ。
辛夷も来年の蕾の準備を終えている。
人の喜怒哀楽、一喜一憂をよそ目に、季節は何の迷いも無く移ろう。
秋山君
秋山君は、我が家の畑の一角を使って家庭菜園を楽しんでくれている。
彼は帯農酪農科一期の同級生。と言う事は、同い年。
短大卒後、地元の役場に奉職し勤め上げ、現在は帯広市内で娘家族と同居。
毎日一里以上の散歩を続け、年に1、2度、義兄弟家族と内地旅行をするなど
穏やかな老後の入りを楽しんでいる。
その彼は、律儀者で採れたてで初物の野菜を差し入れしてくれる。
昨日は枝豆。
それを嫁が今朝茹で上げてくれた。
ちょうどいい塩加減。つい何度も手が伸びる。
朝からビールが欲しくなる。
が、ガマンガマン。
早く夜が来ないかなぁ!
おばあちゃん系
昨晩の夕食はラーメンだった。
しかも塩、味噌、醤油の3種類食べられると言うものだった。
6歳で幼稚園の年長の孫がお母さんの手伝いで、家族に味の希望を聞いて回っている。
「マミばあちゃんは何味がいい?」
「そうね、サッパリと塩がいいかなぁ。お願いします。」
「塩ね。分かった。つぎ、ミヨばあちゃんは?」
「ん?ばあちゃんか⁈そうだなぁ、塩にしてもらうかな。」
「はーい。フミじいちゃんは何味がいい⁉︎」」
「今日のラーメンは何味があるの?」
「え〜っとね。味噌と塩と醤油だよ」
「そーっか、じゃ、コッテリとした味噌で頼むかな。」
「ハーイ」と声を残して、おさんどんしている母親に注文を伝えている。
「お母さん、おじいちゃんは味噌だって。おばあちゃん系は、塩だよ」
「おばあちゃんけー⁉️って何❓」ニュースを見ていたオレは思わず聞き返してしまう。
孫は「ん❓マミばあちゃんもミヨばあちゃん、2人とも塩だよ❗️」と当たり前の様に言うではないか。
「へぇー、ばあちゃんけー、の『けー』は『系❓』なの⁉️」と家内と顔を見合わせて、
「面白い言い回しだな。時代は変わってきているのか」などと感心しきり。
当の孫は、じいちゃんとばあちゃんが何の話をしているのか、全く理解してもらえなかった。