藤丸ナウ
今日1月12日から16日までの5日間藤丸を会場に、milk and natural cheeseフェア
が開かれていて、ウエモンズハートもソフトクリームと4種類のパフェに、10種類の
カップアイスを出品している。
今日は晴天に恵まれているせいか、人出もまずまず。
取材も入っている。
今朝車を止めた駐車場の5階からエレベーターに乗り込むと、偶然藤丸社長の長章さんとバッタリ。
「廣瀬さん、もう後10日程になりました。長い事お世話になりました。」
と神妙に挨拶をしてくれた。
我々には何のお手伝いも出来なかったが、藤丸最後のイベント!
ガンバルぞ!
追伸
現在ウエモンズハートは冬季休業中。
今食べたい方は、是非藤丸までお越しください。
すごいヤツ

家畜や農作物に掛ける共済(保険)の元締め北海道農業共済組合の、広報誌2023年
1月号だ。
息子に促されページを繰ると、北海道アグリ人の項に...

今酪農業界では知らぬ人は居ない、上士幌の小椋幸男君だ。
一酪農家の後継者にすぎなかったけれど、所謂雌伏30年、50才の時に規模拡大を
始めた。そしてあれよあれよと言う間に5,000頭以上の搾乳牛を飼う、
北海道での最大規模の経営規模に育て上げ、全国でも十指に入るのではないか。
コロナ前に開かれたクラス会で「小椋、お前、どこまで規模拡大するんだ?」の問いに「分からん、未だかもな?」
とトボけている。
彼の視線の先には日本一を目指しているのかも。
まだまだ発展途上のようだ。
そんな彼と初めて出会ったのは、昭和42年3月、帯広農業高校の受験会場でのことだ。
前年までは畜産科と言われていたが、この年から酪農科と名称を変えての募集に応募した。
当時の受験科目は九教科で、入試は二日間に及んだ。小椋とは隣同士。何故か気が合い
初対面にも関わらず、一科目済む毎に出来を確認し合ったものだ。
我々は酪農科第一期で倍率は1.7倍。2日目、全て終わったあと、お互い合格して
帯農の門をくぐれる様エールを交換して分かれた。
そして入学式。いが栗頭同士が一年間の実習寮生活を含め3年間同じ学び舎生活を
送り卒業。
そして50余年後の今。
我々同級生は、帯農酪農科卒でもささやかなプライドで『帯農酪農科第一期生』
と名乗っているのだが、その中でも小椋はピカイチの存在で、クラスの誇りでもある。
出羽守 尾張守
「ポリコレ」についての書籍を2冊読んだ。
一冊は、小浜逸郎著「ポリコレ過剰社会 2022年1月1日初版」
もう一冊は、福田ますみ著「ポリコレの正体 2021年12月10月第一版第1刷」
この本の副題に『「多様性尊重」「言葉狩り」の先にあるものは』とある
ポリコレとは、ポリテクトコレクトネスの略で、「政治的正しさ」と言う意味で、
社会的に弱き少数者の権利を保障す(守る)べき、と言った様な事らしい。
欧米(では)LGBT(性的少数者)の権利を守るべきだ、と言う動きが盛んだ。
例えば、アメリカ(では)性的多様性を考慮し、大衆に向かっては「ladies and gentlemen」では無く
「everyone」でなくてはならない。と言った具合だ。
例えば、アメリカ(では)弱者である黒人を「ブラック」と呼ばず「アフリカンアメリカン」
と呼ばなくていけない。
だから我が日本もと、他者の例を引き合いに出して物事を語る人の事を「出羽守」言う様だ。
又、「尾張守」とは、物事に対してすぐ悲観的になり「終わった」「おしまいだ」と嘆く
事。
2冊の本を読むと、ポリコレの究極は、ことばを自由に使えなくなる窮屈な社会に
なる恐れがある
百日祝い
昨年9月5日、三男宅に男の子が誕生した。
孫4人目にして初めての男子だ。少なくとも将来廣瀬氏を名乗ってくれる存在は
有難いものだ。
昨年末の12月27日に百日を祝う予定だったが、その三男一家がコロナに感染して
身動きが取れず、大晦日になって我が家に到着、年越しを無事に済ませたのである。
そして生後百(余)日の記念写真をお袋の実家である、御影の若原写真館に撮りに出かけた。
ハーイ、こっちだよ〜〜

スズを鳴らしながらカメラに移動するオジサン(私の従弟)を、子供の目が追う...
はーい、終わったね。キレイに撮れたよ。ご苦労さん。
はぁ⁈シャッターチャンスなんか有った?子供の目線はいつ揃った?
いつも間違いなくキチンとした写真を作ってくれるので、手抜かりは無いとは
思うのだが...
仕上がりが楽しみ!
重ねて言うけど清水町御影本通で御影郵便局のすぐ北隣の、若原美術館です。
昨年は95才と92才になる両親が、自分達の遺影も作ったが、毎夕仏壇の前で読経
する度、自分の遺影を眺めて満足げに頷いている。
謹賀新年
2023年が明けました。おめでとうございます。
去年大晦日(と言っても昨日の事だが)カレンダーを新しいものに掛け替えた。
○○kk.△△商店.JA△▽.と今年も沢山の頂いたカレンダーの中から「字」が大きく
遠くからも見易い月捲りの物を選んで壁の定位置に掛けた。自分の隣りでカレンダー
の品定めをしていた、間もなく96才になろうとしている父が、どのカレンダーを見ても
「2023」しか書いていないなぁ⁉︎
何?と聞き返すと、今は令和だよな。令和だと何年になる?と言うではないか。

このメーカーは小さくて見えにくいが、01の横に2023としか書いていない。

この会社は2023の下段に、近づかないと読めない様な小さな字で「令和5年」と、
書いては、ある。
そう言えば、令和に入った頃から日本の年号が目立たなくなっていたなぁ。
どう言った風潮なのか?
「アメリカ、では。」「EU、では。」と言っては、それらが国際標準だから
日本も合わせないと出遅れると」言う様な「出羽守」方式の考え方なのか。
江戸時代末までは世界史の中の日本と言う考え方は無かったから、何の痛痒も
感じなかったが、明治以降は世界史に於ける日本と捉えると、昨今の元号を隅に置くと言う
考え方も理解出来ない訳では無いが...
昭和27年生まれの古希人にとっては、日本の元号を西暦に直す作業は煩雑では
あったがしかし、応仁の乱、承久の乱、天明の大飢饉といった様な歴史的事実を
元号で習った事実も捨てがたく、世界標準、ではと言った「出羽守」論で、日本の
元号は薄れて行ってしまいそう。
追伸
出羽守、尾張守と言う言葉は、昨年夏に読んだ本で知ったばかりで使い方は
ぎこちないがこの言葉については、後刻説明させて頂く。





