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十二代目 宇右衛門の廣瀬文彦が語る ウエモンのよもやま話

2023年5月 1日(月) 09:01

足りなくなるって?

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バターの在庫が2~3割減少とのニュースが流れた。
このグラフを見ても分かる通り、世界中でコロナのパンデミックに依って人流が抑制された頃から
バターの在庫が異常に膨らんでいる。そして、コロナ患者が減り始め、政府は、マスク装着も個人判断。
更にこの5月からは伝染病の2類から5類へ移行予定と、人流制限を段階的に解除されるのと機を一つにする様に
バター在庫が減少し始めている。
 2021年、バターや脱脂粉乳の消費が低迷し、過剰在庫が問題化した。
生産抑制の為搾った生乳の廃棄や、一頭10万円の見舞金で搾乳牛の淘汰が行われると言うニュースが
つい最近まで流れていたが、このグラフではバターの在庫が昨年夏頃の40,000tから今年の3月には
30,000tへと急激に減少しているのが分かる。
そしてこのニュースの後段では、これから夏に向けて飲用牛乳の消費増大や、年末のケーキ需要期には
生クリーム、バターが足りなくなる恐れがあり、既に出荷調整をし始めた乳業メーカーも現れているとの事。
 
 農業、とりわけ酪農は、乳牛の乳房に蛇口を取り付けて開閉するように小回りは効かない産業だ。
 自分が親の跡を継いで50年になるが、牛乳の需給が逼迫したり緩和に依って乳価が下げらるたり、牛乳に食紅を入れて
廃棄させられたりという事は二度三度有った。そしてまた今回だ!
何度も同じ対症療法では、酪農家は元より淘汰される牛が可哀想だ。99638A17-CD93-4974-BE9E-EFF5C2686A58.jpeg

 バターは所謂油分だ。大豆やとうもろこしから作り出すようなバイオ燃料にはならないのか。
残りの脱脂粉乳の成分の大半がタンパク質や乳糖。
炭水化物は米麦や人工肉に置き換えられないのか。
乳糖は砂糖替わり。
こう言った製品開発をして、牛乳受給緩和時には、蛇口の開け閉めではなく、
右か左かの切り替えバルブを考案したら如何か?
いくら家畜と言っても命の無駄遣いは、罰当たりな所業だ!

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 ここ迄一気呵成に書き、ふと外に目を転じると、庭の桜が満開E72ED4E2-87A6-4227-A3CC-0DF9A37A151E.jpeg
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この先何百年、安穏にサクラを愛でられるよう!
 

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2023年4月27日(木) 06:17

江戸時代の智慧

 今朝の日本農業新聞の第一面のニュースが目に飛び込んで来た。F2206CAC-63C7-4D8D-A37E-35E3A33F2C07.jpeg
下水汚泥から肥料となる「リン」を抽出し、「再生リン」として「再利用」しようと言うもので、
国土交通省によると、島根県、岐阜市、神戸市、鳥取市、福岡市の5自治体が既に生産に取り組んでいるようだ。

 確か自分が30代と言えば昭和50年代。つまり今から40年以上前に読んだ本の内容を思い出した。
第二次世界大戦直後には85%以上有った日本の食料自給率が当時50%を切ろうとしている時期でもあったが、
自給率の低下イコール食糧輸入量の増大による弊害という事が書かれていた。
 つまり我々の食料はN.P.Kプラス微量要素で構成されていて、国内での循環を超えてこれらN.P.Kが日本国内に過剰蓄積されると、
公害や河川、海の富栄養化を招く事になると警告していた。
昨年十勝や日高沿岸で赤潮が大発生し、甚大な漁業被害が報じられていたが、これらの元凶は過剰に豊かになった人類の
経済活動や生活による所、大だろう。
 話しはそれたが、食料のみならず、農業の為に肥料も大量に輸入している。特に火山列島である日本は
P(リン酸)が決定的に不足している。
それら肥料成分が人間の糞便の下水汚泥から分離し再利用できるのであれば三方良しである。
つまり日本人の糞便の3分の2は海外産の食料からなっているからである。
その糞便を再利用できる。
そして赤潮などの漁業被害も防げる。
江戸、明治までは糞便が肥料として取り引きされていたそうだ。特に大名屋敷や大店から出る糞便
は、粟稗の飯と味噌汁にたくあんくらいか食べていない下町の糞便より高く流通していたそうだ。
更には、同時代のヨーロッパや朝鮮などは糞便が街中に溢れていたそうだが、日本では
大事な肥料として取り引きされ、最大の循環環境に有り、結果的に100万都市江戸でも衛生環境は最高だった。
近頃、とってつけた様に、sustainableを呪文のように盛んに唱えているが、日本人は400年も前から循環と持続可能な社会経済を実践していたのだ。
資源小国日本は江戸時代の知恵に学び、あらゆるものを再利用すべきである。

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2023年4月25日(火) 17:02

マイルストーン

 拡張型心筋症を患い、余命宣告された6年前、我が人生最初で最後のマイカーを購入した。
71年の人生を振り返って見ると、トラクター7台は自分名義で24時間365日いつでも
制限無く乗れたし、ファームダンプ2台と軽トラも自由に乗れた。
しかし乗用車となると、オヤジ名義、家内名義、息子名義に嫁名義ばかりで、自分が自由に出来る
車は持った事が無い。
さて会議などスーツで出かける事もまゝあったが、空いて居ないと軽トラが愛車だった。
 ここまで、人生の恨み節では無い。
自分にまで乗用車を持つ甲斐性が無かったのと、それ以上に贅沢品を持つ趣味が無かっただけだ。
さて60才半ばを越えて人生最後の贅沢とばかり手に入れたその車が今月の札医大受診の帰り道、国道274号線の樹海ロードを走行中、
積算走行が100,000kmを超えた。
札幌から96kmを示す所で99,999kmになったので安全な路側に停車し、取り敢えず記念撮影E4C36C7C-7B92-4ECC-AEE6-0D27105A3558.jpeg
扨、あと1キロでジャスト10万キロだが、安全に停車出来るところは⁉︎
おお、トイレも備わっている休憩用駐車場が、あるじゃないか!54A425B8-07F9-403F-B04C-ABF7E6A2A17B.jpeg
記念すべき100,000km。
先月24日、この車で阪大病院の澤先生に会いに旭川まで出かけた。
この車で月一の札医大受診は元より、北海道の全ての海岸線も走り抜いたし、各地の温泉も巡った。
本当にお世話になりっぱなし。

200,000km目指して元気で我々を連れ回してくれ!

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2023年4月15日(土) 17:50

温暖化?

 庭の辛夷が咲き始めた。F5CCFF15-5734-4D9C-9FCB-9895D2B36833.jpeg
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市内では2〜3日前から桜も咲き始めているようだ。
足元に目を向けると
チューリップが一輪3B8AE70C-87F6-431C-AC91-224B9CCB8408.jpeg
水仙は花が揃い始めているC4F38663-E525-45F5-805E-C92A2EA26BDA.jpeg
ボケも花芽が色付いているが、寒くて足踏みか?2137E0BF-91B8-4C82-BE34-9245EC340C45.jpeg
何れにせよ、早い!
地球温暖化?

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2023年4月12日(水) 06:12

テッペン NOW

7F09AC25-6143-4168-AB79-F13F5BBF5B4E.jpeg10日〜12日の予定で稚内に行って来た。
10日午後6時から帯農酪農家第1期生のクラス会に参加する為で、十勝組6名はワゴン車のレンタカーで、その日の朝8時過ぎに出発。
稚内市を右折し海岸沿いに宗谷岬に向かう。B29DEAF6-F87C-48A2-9B9C-F734B930F0CA.jpeg
岬からUターンして、400km強を走破して午後5時過ぎ、会場となるアルメリアに到着した。
一風呂浴び、宴会が始まるF045A053-6932-4BC3-AFBC-B6CF779EF9D4.jpeg
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帯農酪農科入学からはや55年の年輪は隠せない。
翌日は日帰りで礼文島へ。朝6時10分発のフェリーで片道2時間。結構遠い。496950B9-21BC-4A73-9D5F-19F76E656843.jpeg
礼文島では漁師と民宿を経営しているクラスメイトの義理の姉夫婦一家にお世話になり島を案内していただいた。
礼文最北端スコトン岬だ。EC300383-5A32-4ACA-B02D-24B2759E0FCC.jpeg
昼食後島唯一の温泉に浸かり、午後4時25分発のフェリーで稚内に帰港。
翌日朝7時30分過ぎ帰路に就くが、先ずノシャップ岬へ2A9C62B8-86A2-47AD-8635-04B5CB164D99.jpeg
次に今回の幹事をやってくれた稚内市抜海に住む友人宅を表敬訪問59D82EC1-2EF1-45E4-BE57-7503D4D7FC2F.jpeg
その後カーナビに逆らいつつ我が家に無事到着12672A11-B2A6-4903-9352-D24D1E84BC92.jpeg
55年も経つとそれぞれ角も取れ、譲り合い、お互いを労わりあい乍らの旅だった。
一生(お互い残り少ないが)忘れられない思い出が出来た。

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