あー忙しい...(チョー生意気!)
連日、大阪は空気が肌にまとわり付くような暑さらしい。
然し、「自身大阪に居る」のに「...らしい」とは此れ如何に。
昨日午後帯広から、私の主治医で私をハートシート移植の治験が受けられる様阪大附属病院迄導いてくれた小山先生の暑くてたまらん!と言った様子で感じたのだ!
病室に顔を出すなり「おや、随分体調は良さそうですね!」続けて「さすが大阪暑いですね〜」とおっしゃる。
今は独房暮らし⁉︎日がな一日動かずに居て快適な温度25℃に設定してあったけれど、気兼ねする同居人もおらずエアコンを20℃に設定してみる。しかし体をクールダウンさせるのにやや暫くかかっていた。その先生の様子から大阪の暑さを感じたのだ。
私服の先生(大阪迄白衣は無いな)なので、阪大病院での検査の様子のみならず私的な話しまで弾んでしまい2時間足止めしてしまった。
夕方5時半頃には東京から、20年来お世話になっている「中央酪農会議」次長の斎藤淳さんが、神戸出張の途次顔を出してくる。
「外は随分暑いんでしょ⁉︎」「いや?夏だものこんなもんでしょ!」
この言葉、人類の適応能力の高さを実感する⁉︎
病を得て3年此の方東京出張もままならず「中酪」から足が遠のいていた為、話しが止まらなくなり、こちらも丸三時間超!
病室巡回看護婦も流石に「面会時間は8時までで既に20分過ぎていますよ!」と声をかけて来た。看護婦が来なかったらまだ2〜3時間でも話して居たかったし、そうかも知れない。しかし、生ビールと言うツールがなくてもシャイな私が話が続けられるんだ!世紀の発見だ‼︎‼︎
帰って行く斎藤さんに後ろ髪を引かれている自分がいた!
看護婦の抑制ぎみの怒気を含んだ声に慌てて斎藤さんとのツーショット撮るのに気が引けて撮れず終い。残念!
午前には牛飼い仲間の梅村建雄ちゃん、浦幌の石山昌弘君、津別の清野映子さんから電話があり、他にも二件励ましのメールが入る。
院内では、26日に退院してしまう治験の先輩で東北の♂さんとも携帯番号を交換!
多忙な、然し充実した1日である。
楽しき哉人生、嬉しき哉人生!
生きていればこそだ!
手術まで後二日!
7/21。パートII
鳥居民氏著「日米開戦の謎」の読後感は一言で言うと、吐き気を催した!
「当然避けねばならなかった戦いに、なぜ日本は突き進んでいったのか?」とこの本の帯にあり、さらに、「政治機構や組織上の対立がもたらした恐るべき錯誤。語られることのなかった日本の失敗の真因を指摘する!」と書かれている。
自分自身は生まれ育んでくれたこの国が大好きだ!そんな中、最近とみに感じる事は第二次大戦迄の15~20年だけを捉えて、好戦的、侵略国家、勝つためには手段を選ばない汚い国家といまだに言い募る国がある事に困惑を感じる。そして国力の差が歴然としている米英とどうして戦ったのか。どうして徹底的に破壊されるまで戦ったのか。
いつも思う事である。
読み進めて見る。
一に戦争に向けての世論の形成である。江戸末期文久三年生まれの思想家徳富蘇峰が「国民新聞」なる物を創刊し40年に渡って社長を勤め明治、大正の世論を牽引し、その後倒産。今度は「大阪毎日新聞」に移り、第二次世界大戦終結間際までの60年に亘って政府の弱腰外交を批判し続け、知らず知らずの内に国民世論を米英との戦いも止むなしとしてしまった。
寄らしむべし、知らしむべからず!政治の舞台裏を知らない国民は、勇ましい話しに喰いつくものである。
国力を全く考えず、戦争止むなし。神風が吹くなどと自身を神格化してしまった。
恐るべしポピュリズムか?
他方、日露戦争までは親日だったアメリカはどうか。
ロシアの南下を恐れ軍拡をし、朝鮮、支那をその防波堤にしようと軍事介入して行く日本を見てアメリカは、日本を膨張主義と警戒し始め、自由を標榜しながら日本人移民のみの排斥を含め、様々な規制を日本に対して始める。更には太平洋を挟んだ日米と言う二つの国家はいずれ戦争に向かうのは必至とする書物迄出る始末。いずれも見えないお化けを怖がる様に、日・米両国は疑心暗鬼を深めて行く。
本書に依ると、明治の元勲達は、一部の人間が権力を握り独占するのを嫌い明治憲法には天皇主権を織り込んだ。その為議院内閣制を取りながら例えば、内閣は総理大臣と雖も他の閣僚と等しく一票の権限しか無く、閣僚の一人でも反対すれば閣内不一致で倒閣となってしまう。世界情勢を分析し指摘する機関を持たず夫々の省(特に陸軍省と海軍省)の利害ばかりが膨らみ、要求し主張し合い譲り合わない。そして見えざる綻びが随所に現れ、後戻り出来ない中所謂先の大戦に進んでしまった。
ヨーロッパの「騎士道」、日本の「武士道」。いずれも単なる忠誠心とは全く違い、大を思い、小を捨て、全ての言動に命を賭ける。そんな考えも明治の終焉と共に消え、自己愛、自己保身、忖度の度合いが大きくなり、それぞれはオカシイ、愚か、危険と感じながらも動きが止められなくなってしまった。
今の政治はどうであろう?
瑣末な揚げ足取りの応酬。言った言わないの責任論ばかり...
「日本」と言う「大」を見据えた議論はないものか?
日本は何処に向かって進んでいるのか?
世の中、 未消化物が多く、吐き気がする!
後、4日だ。
早起き
すっかり怠け者の朝寝坊になってしまった。
然し、今朝は4時過ぎに目が覚め帯広より30〜40分遅い夜が明け始めた。そしていつもになく早い時間に顔を洗い髭を当たる。
部屋に戻って外を眺める。名前は分からないけど柔らかな曲線を持つ山並みが重なって見える。
眺めていると、暑そうで敬遠して居たホスピタルパークにいきたくなる。今回入院して以来だ。
パーク前の自動ドアが開くと、「ウワッ、何とヌル暖っかい!空気が肌にへばりつく‼︎想像以上だ!」それ以上に凄いのが集団で羽を擦るセミ?の声だ。ジッ、ジッ、ジッとシャー、シャー、シャーとかジャー、ジャー、ジャーと全くのどかと言った状況にはほど遠く、サ行やザ行の頭で始まる耳障りな騒音だ。イヤ喧騒だ!
そんなホスピタルパークに出てみると、おお懐かしい、彼岸と此岸を悟らせてくれた花が弱々しくなって最期を迎えている。
盛りの頃は...
植樹されたばかりの木も何とか根付いている。
移植直後はこうだった。
喧騒の中のホスピタルパークを進んで行くと、池のコイを飲み込んでいたペリカンの様な大型の鳥が居たとの看護婦証言を裏付ける様に、アオサギがコイの池に舞い降りて来た。
どう見てもおれの顎とは明らかに違い、スマートだ⁉︎
看護婦が目撃したのは、アオサギが池のコイを呑み込む寸前だったと言うところか⁈
現行犯だ!
ヤジ馬ならぬ、ヤジバトもご機嫌伺いに来る。
久しぶりのホスピタルパークは懐かしいけど、道産子にとっては早朝からのヌル暖かさはかなわん!早々に病棟に戻る。
まるで軽井沢の様な避暑地の様な病棟...
今日は個室へ移動。
手術まで後4日...
明と暗
羽田帯広間のJAL最終便の窓から見た日没後の光芒だ。
先程、帯広の友人から訃報の連絡があった。
亡くなったのは、帯広で設計事務所を開いている奥周盛君だ。
35才の時、帯広青年会議所で出会って以来の友人だが、生まれ年が一緒という事もあり年に数回は飲み会で会っていた。奥君と最後に会ったのは同じく友人の近藤哲男君の奧さんの葬式でである。
今年に入って、短大同期の川端勇一君の奥さんの千代子さん、青年会議所同期近藤哲男君の奥さんの由美子さん、帯農の同級生の石川和男君、そして奥周盛君が相次いで亡くなった。
四人とも癌が原因だ。この4カ月余りで同級生やその奥さんが立て続けに亡くなり、何とも高齢者の仲間入りを実感させられる。
そこでどうしても比べたくなるのが、自分自身の心臓の難病と診断されてからの来し方、そして行く末だ。
今日、夕方デイルームで一休みしていると、隣の929号室に入院している人から、「心筋症で治験を受けられる方ですよね!」と声をかけられ、その後夕食を挟んで2時間以上話し込んだ。
その人は昭和40年生まれの東北の♂さんと言う兼業農家の人だ。
病歴は私よりはるかに長く、10年にも及ぶそうだ。そして矢張りこの阪大で治験者に採用され、今年4月入院。5月に筋芽細胞を採取。彼は右足だ。そして6月に移植手術を受け、今日で丁度4週目とか。そして26日には目出度く退院の運びらしい。
自分が拡張型心筋症へのハートシート移植と言う治験者六人目とは自任していたけれど、先に治験を受けた5人はどの様な人で、どの様な経過を辿っているのか知りたいと思って居た矢先、病歴、そして治験に対しても良き先輩に出会えたものである。
65才。高齢者の仲間入りを果たしたばかりの友人。
夫々が病いと闘いながら、片や、あらがいそして敗れ老後も失なってしまい、もう片や、先端医療に出会い99%失われた老後を取り戻す。
持って生まれた生命の妙だ。
先輩の♂さんと出会い、手術への期待と安心感も倍増!
心筋シート移植手術まで後5日!
術前六日
痒かった...
24時間心電図ホルダーの端子を付けていた場所を間欠的に襲う痒みだ。
強力な粘着テープのせいだ。汗っぽい肌でも寝相が悪くても何のその!ツワモノだ!
そして、その24時間には日誌の記入が必要だ。食事、トイレ、洗顔、就寝と起床の夫々の時間。そして心臓に不整脈など違和感を感じた場合も時間と症状の記入も勿論のことだ。
午後2時に時間が来て心電図ホルダーを外してもらい、濡れたタオルで思いっきり擦る。チョー気持ちイー‼︎
そして午後3時からは心臓超音波検査だった。
薄暗い部屋での検査室には、無意識の内に体を緊張させてしまう患者が多いそうだ。斯く言う自分もそうで、検査ベッドあの狭〜いベッドに横になり、胸にゼリー状のものを塗り端末端子を取り付け、四肢に心電図を装着して検査開始。すると程なく「はーい、体の力を抜いて!」と、心臓病のプロを自任している私ですら言われるのが常だ。患者をリラックスさせる様なゆったりとした音楽が流れている。然も、新人とベテランの検査士で検査のツーセット。思わずウトウト...「はい、息を吸って。」の声でうつつの世界に引き戻される。
20分くらいが45分程かかった。
部屋でもバンビマークとベテランの看護師がセットで検温などに来るなど新人の看護師や検査士も自立に余念が無い。
時間がかかっても、優しい目で見守ろうではありませんか⁉︎
午後4時からの6分間歩行検査は、明日に延期。
早い夕食も済ませ、薬も飲んだ...
後は歯を磨くだけ
あっ、7時からシャワーだった。
明日も既に二つの検査が予定されているので、今日の汗は今日のうちに落としてお休みだ。
術前六日目も、はや暮れていく。