結果報告
23日の阪大病院澤先生受診の結果。
順番が来て、澤先生の部屋に入っていく。
半年ぶりの挨拶をして診察用の椅子に座ると、自分の着用していたブレザーの左襟に普段から付けているバッジに目が行ったようだ。
拡大して見ると...
このバッジの絵は「ブラックジャック」の主人公の医者が描かれているが、作者の手塚長虫氏が阪大医学部の卒業生と言う事で、阪大医学部心臓血管外科の象徴として使われているもので、自分は治験の患者として昨年大阪で開かれた心不全、心臓移植患者の集いに出席し、記念に頂いたものだ。
澤先生は開口一番、「あれ⁈そのブラックジャックのバッジ付けてくれているの?」と声を掛けてくれた。
自分も「ハイ、これは私の守護神、お守りですから!」と返すと、大きく頷きながら今回の検査結果や札医大の小山先生の報告書と併せて見て、所見を説明してくれた。
札医大小山先生の診断通り、EFポンプ率は30%と変わりはないが、ハートシート移植の治験者6人の内最も経過が良好な患者らしい。
澤先生曰く、「あと10年は大事にして貰わなくちや!」と。
10年と余命宣告を受けたのかと勘違いして「あと10年の命ですか⁈」と聞くと、「あと10年と言えば70代半ば過ぎか。そこまで大事にできれば、残りの寿命を全うできるよ」とおっしゃられた。
年が明け令和2年には68才だ。
振り返ると、60才を過ぎた頃から体調を崩し、検査の結果夢想だにしなかった心臓病で余命宣告を受け、その難病との戦い。そして阪大病院の澤先生との出会いと治験手術の成功と慌ただしく人生の淵を走り続けて、気がつくとあっという間に70才目前!
人生の終わりがある事に気づかされただけましか。
貰った命で、これから何をしようか!
それが問題だ‼︎
澤芳樹先生
明日阪大病院受診の為、今朝帯広を発ち先程伊丹空港近くのホテルにチェックインした。
明日は午前9時から検査が始まり、結果が出次第澤先生の半年ぶりの受診だ。
結果や如何に⁈
余りお手本になる様な患者生活を送っていないし......
揖斐川町、その4(卒業生名簿)
上善明寺の家紋だ。この寺の本堂の地下に納骨堂が有る。
そこには文字通り、数多の門信徒の遺骨が納められているのだが、そこには所謂秘仏なる物が収められていた。古い物では2世紀にインドで作られたものもあった。
さて、続いてお邪魔したのは揖斐川町立北方小学校だ。
玄関前には旧校舎の巨大な鬼瓦が飾ってあった。
この小学校は祖父種治が卒業した歴史ある小学校だ。
揖斐の廣瀬誠さんがもしや⁈と思い、校長先生に名簿の照会を依頼してあったものだ。そしてそれは果たして、有った。
大正5年度卒業生名簿の一番初めに搭載されていた。今風にアイウエオ順で見ると、何故廣瀬が一番先に載っているのか⁈
ひょっとして、成績の良い順か⁈などと淡い期待を持ったが、なんの事は無い、誕生日順だった。その成績は、と言うと、十段階中八だった。卒業後の進路は高等科進学とあった。そこで、生前祖父種治が突然の北海道移住で高等科の中途退学を余儀なくされたと、話していた内容と符合し、感動した。
更に驚く事に、卒業生の集合写真も保存されているではないか!
写真のサイズは結構大きく殆どボヤけてはいないのだが、12才の頃の顔は判別がつかない。一番若い頃を知っている筈の父に聞いても残念ながら、判らないようだ。
勲さん、誠さんの手際良い案内で訪問予定は着々と消化して行く。
次は鎮守の杜、北方神社。
そして次は、天上寺(現、上善明寺)発祥の地に建つ廣瀬観音だ。
ここは今回のツアーのロケハン時、次男の祐二が願いが叶うかどうか占う「おもかりさん」と言う石を抱いた場所である。
5日最後の訪問地は、それこそ我が廣瀬宇右衛門家が暮らしていた場所(現在でも廣瀬初次郎名義になっている)に建つ廣瀬稲荷へ...
後、本日から2泊する大和神社に案内され、手続きを済ませて荷をほどく。
この夜は勲さん宅のご好意により、全員で夕食のおもてなしを受け、一日が無事終了した。
揖斐川町、その3(百年法要)
さて12月5日午前11時より揖斐探訪のメインイベント、廣瀬宇右衛門一族の百年法要が行われる上善明寺の本堂に案内される。
荘厳さに魅入る妹達

阿弥陀さんの前には、元禄15年に亡くなった宇右衛門政元以下の家族の位牌全てを祀らせて頂く。帯広からカバンに押し込められ、百年振りの里帰りに先祖達は驚き、そして、恩義せがましくも、きっと喜んでいる事だろう。
とり分け祖父の種治は、13才で晴天の霹靂の北海道移住。そして塗炭の苦しみの開拓暮らし。仲の良かった友達や嫁いでいた姉との別れ!全ての希望が断ち切られる人生。
そんな中、廣瀬家を立て直し、安穏な日々を過ごせるようになった老後。庭いじりを孫の自分に手伝わせながら、揖斐に帰りたいもんじゃ、と、遠くを眺める様な眼差しで言っていた祖父の顔が思い浮かぶ。自分としても、最もこの祖父種治を連れて来たかったのかも知れない。

いよいよ寿宣師、光宣師親子の読経が始まる。
特に現住職である光宣師の読経はバリトンで力強く、父親の寿宣師の老練な読経の声との二重奏で、広々とした本堂に朗々と響き渡っていた。
南無阿弥陀仏!

我々兄妹夫婦の他、勲さん巧さん兄弟。誠さんと母親の律子さん。そして松岡博明、美代子夫婦などがお参りしてくれた。

総供養が終わった後、記念撮影!
そして最後には、



前坊守の手作りになる御斎を振る舞われ(本来なら此方が用意すべきものだが)、その美味しさもさる事ながら心からなるOMOTENASHIに、全員感激だった。
ふるさととは、これ程に温かいものか。
先祖代々、揖斐での真っ当な暮らし振りが思い浮かび、感謝の念しか無い。
(つづく...)
揖斐川町、その2(表敬訪問)
一昨日午後札幌へ向かい、昨日は朝から検査。その結果を受け、午後2時すぎから小山先生の定例検診。
今回は、初めて心肥大が認められた。
4日からの廣瀬家ふるさと揖斐探訪の旅は、3組の妹夫婦の引率し、揖斐川町長への表敬訪問始め、初めて会う大勢の廣瀬一族。また上善明寺では我が家の先祖の総供養の読経をあげて貰ったり、或いは神社仏閣巡りで石段を登ったり降りたりと、普段に無い動きを続け出来たせいか...
小山先生からは誤差の範囲かも知れないけれども要注意との事だった。
さて、師走とはよく言ったもので、揖斐探訪の旅の報告は揖斐の谷汲山松本屋さんに安着した所までの報告を始めたが、あっという間に一週間が経過。
今日は12/5、2日目の報告に行こう。
2日目は当日宿泊予定の大和神社宮司の保井円さんが、中古のマイクロバスで迎えに来てくれた所から始まる。その車には今回、揖斐での代表世話役をしていただいた廣瀬勲さんの案内で始まり、スタートは揖斐川町長富田氏の表敬訪問だ
今回の旅、想定以上に何か大ごとになりそうな予感がする。
早速、名古屋で前泊していた智矩夫婦も合流し、10人でいざ町長室へ...
表敬訪問と言う事で自分の挨拶から始った。故郷を捨てた百年前。その後の四度に亘る移転を経ての現在地での定住と、家業としての酪農および六次化としてのウエモンズハートの経営について説明。そして揖斐の廣瀬家と我々帯広の廣瀬家との関係を、揖斐在住の廣瀬誠さん作成の家系図を使って紹介させていただいた。
最後に記念写真だ。私の隣に写っている光頭家の方が富田町長。
さて次は我々廣瀬家の総本家であり菩提寺でもあり、尚且つ揖斐の古刹上善明寺訪問である。
山門を前に記念撮影。これから先祖の総供養が行われる本堂に向かうが、初めての訪問となる妹達はその歴史や荘厳さに圧倒されていた。
山門を入ると...
左手に見えるのは宝物庫と手洗い場
正面から見た本堂。この本堂は昭和48年3月に自分が20歳の時、初めて訪問してお参りして来た翌々年に貰い火で焼失した物を再建した物だが、荘厳さは往時のままだ。
右手は住職一家の生活の場である庫裏だ。これは江戸時代の代官屋敷を大正時代に移築した年代物だ。

本堂の控え室でお茶を頂きながら、法要の挨拶と妹夫婦達の紹介だをさせていただく。
住職からは北海道を旅した時の感謝のことばをいただいた。
(つづく...)





