揖斐川町、その3(百年法要)
さて12月5日午前11時より揖斐探訪のメインイベント、廣瀬宇右衛門一族の百年法要が行われる上善明寺の本堂に案内される。
荘厳さに魅入る妹達
阿弥陀さんの前には、元禄15年に亡くなった宇右衛門政元以下の家族の位牌全てを祀らせて頂く。帯広からカバンに押し込められ、百年振りの里帰りに先祖達は驚き、そして、恩義せがましくも、きっと喜んでいる事だろう。
とり分け祖父の種治は、13才で晴天の霹靂の北海道移住。そして塗炭の苦しみの開拓暮らし。仲の良かった友達や嫁いでいた姉との別れ!全ての希望が断ち切られる人生。
そんな中、廣瀬家を立て直し、安穏な日々を過ごせるようになった老後。庭いじりを孫の自分に手伝わせながら、揖斐に帰りたいもんじゃ、と、遠くを眺める様な眼差しで言っていた祖父の顔が思い浮かぶ。自分としても、最もこの祖父種治を連れて来たかったのかも知れない。
いよいよ寿宣師、光宣師親子の読経が始まる。
特に現住職である光宣師の読経はバリトンで力強く、父親の寿宣師の老練な読経の声との二重奏で、広々とした本堂に朗々と響き渡っていた。
南無阿弥陀仏!
我々兄妹夫婦の他、勲さん巧さん兄弟。誠さんと母親の律子さん。そして松岡博明、美代子夫婦などがお参りしてくれた。
総供養が終わった後、記念撮影!
そして最後には、
前坊守の手作りになる御斎を振る舞われ(本来なら此方が用意すべきものだが)、その美味しさもさる事ながら心からなるOMOTENASHIに、全員感激だった。
ふるさととは、これ程に温かいものか。
先祖代々、揖斐での真っ当な暮らし振りが思い浮かび、感謝の念しか無い。
(つづく...)
揖斐川町、その2(表敬訪問)
一昨日午後札幌へ向かい、昨日は朝から検査。その結果を受け、午後2時すぎから小山先生の定例検診。
今回は、初めて心肥大が認められた。
4日からの廣瀬家ふるさと揖斐探訪の旅は、3組の妹夫婦の引率し、揖斐川町長への表敬訪問始め、初めて会う大勢の廣瀬一族。また上善明寺では我が家の先祖の総供養の読経をあげて貰ったり、或いは神社仏閣巡りで石段を登ったり降りたりと、普段に無い動きを続け出来たせいか...
小山先生からは誤差の範囲かも知れないけれども要注意との事だった。
さて、師走とはよく言ったもので、揖斐探訪の旅の報告は揖斐の谷汲山松本屋さんに安着した所までの報告を始めたが、あっという間に一週間が経過。
今日は12/5、2日目の報告に行こう。
2日目は当日宿泊予定の大和神社宮司の保井円さんが、中古のマイクロバスで迎えに来てくれた所から始まる。その車には今回、揖斐での代表世話役をしていただいた廣瀬勲さんの案内で始まり、スタートは揖斐川町長富田氏の表敬訪問だ
今回の旅、想定以上に何か大ごとになりそうな予感がする。
早速、名古屋で前泊していた智矩夫婦も合流し、10人でいざ町長室へ...表敬訪問と言う事で自分の挨拶から始った。故郷を捨てた百年前。その後の四度に亘る移転を経ての現在地での定住と、家業としての酪農および六次化としてのウエモンズハートの経営について説明。そして揖斐の廣瀬家と我々帯広の廣瀬家との関係を、揖斐在住の廣瀬誠さん作成の家系図を使って紹介させていただいた。
最後に記念写真だ。私の隣に写っている光頭家の方が富田町長。
さて次は我々廣瀬家の総本家であり菩提寺でもあり、尚且つ揖斐の古刹上善明寺訪問である。
山門を前に記念撮影。これから先祖の総供養が行われる本堂に向かうが、初めての訪問となる妹達はその歴史や荘厳さに圧倒されていた。
山門を入ると...左手に見えるのは宝物庫と手洗い場
正面から見た本堂。この本堂は昭和48年3月に自分が20歳の時、初めて訪問してお参りして来た翌々年に貰い火で焼失した物を再建した物だが、荘厳さは往時のままだ。
右手は住職一家の生活の場である庫裏だ。これは江戸時代の代官屋敷を大正時代に移築した年代物だ。
本堂の控え室でお茶を頂きながら、法要の挨拶と妹夫婦達の紹介だをさせていただく。
住職からは北海道を旅した時の感謝のことばをいただいた。
(つづく...)
揖斐川町
大正7年3月、廣瀬初次郎、ハツ夫婦が6人の子供を連れて北海道へ渡ったのが、わが広瀬牧場の始まりだ。
それから数えて100年を迎えた昨年、渡道以来4代に渡っての苦労の足跡をまとめた記念誌「賢者は歴史に学ぶ」を上梓した。
さらに11月23日、渡道以降の有縁の者達を集め記念式典も挙行した。
そして年が明け、今年は天皇が退位され、新天皇が即位。年号も5月1日から「令和」と改元された。
我が家は勿論、天皇家でも歴史的な行事が催された。同列に並べて語るのは憚られるが、そんな経緯も有ってか、13才で親に連れられ開拓に苦労をした北海道2代目で、祖父の種治の記憶が鮮明に残っている三人の妹達も俄然我が家のルーツに興味を持ち出した。
揖斐熱が最高に高まった12月4日、「ふるさと揖斐、探訪ツアー」が始まり、機上の人となった我々兄妹夫婦。
一番下の妹夫婦は先発隊として既に出発しており、彼らとは名古屋駅で落ち合う予定での出発だ。羽田空港に降り、ほぼ予定通り品川で新幹線に乗り、名古屋駅の乗り換え口で漸く8人が揃い東海道線で移動。大垣からは養老鉄道に乗り換え、念願の揖斐川町に到着。早速期待に胸を膨らませた兄妹夫婦全員で、揖斐駅を背景に記念撮影。
初日の宿泊は西国三十三番札所谷汲山華厳寺参道にある、谷汲山松本屋さんにお世話になった。
我々は、大半が下戸。ふるさと探訪の第一夜の宴会は静かに、しかし熱く、始まった。
(つづく...)
源氏絵巻⁈
今山代温泉「森の栖」二泊目。
小さな谷合に向かい合わせに建つ宿泊棟を繋ぐ渡り廊下が、まるで源氏絵巻みたい!
夫々の部屋では「朝廷の女房達」が日常の生活を送っている姿が、幽幻として浮かび上がってくる。
定期検査
11月29日は、札幌医大の小山先生の定期検査が有り、家内と受診して来た。
結果は変わらず、良い状態が保たれていると、お墨付きを頂いた。
bnpも20代とほぼ健常者並みを維持。
心臓の肥大も見られない。
4日からのふるさと岐阜探訪の旅も、大丈夫でしょう。気をつけて行ってらっしゃいと太鼓判を押してくれた。
ただ、矢張りと言うか、体重の現状維持と言う努力は認めるけれど、過肥には変わり無く、今回の旅は勿論の事、これから忘年会や新年会などが続くので気を引き締めて下さいと、釘を刺された。
今回は40日ぶりの検査だったが、この間、薪運びと薪アートにと10日間ほど連続して、肉体労働なるものを行った。爽快でもあったが、その後時々心臓の拍動がドキン、ドキンと高鳴り、不整脈も感じられた。心臓にどれ位負担がかかっているのか怖かったので、ホッと一安心!
来月は札幌医大の受診の他に、大阪大学での半年毎の検査もいく予定。
又CRT-D(除細動器内蔵のペースメーカー)の寿命の5年を来春迎える。これは来年4月に更新予定だ。