令和2年(2020)正月
今日は1月4日。
遅ればせながら
「新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。」
さすが十勝と言った初日の出を拝みました。
初日の出は午前7:09

6年前、難病に罹患している事が判明し同時に余命5年の宣告を受けた。それからその病いとの戦い。
そしてNHKの朝ドラ「なつぞら」の、2年に亘る酪農監修と言うお手伝い。
などなど、夢想だにしなかった、はたまた、晴天の霹靂と言える事が続いたが、昨年末でそれらに終止符が打たれ解放された。
難病の拡張型心筋症の進行も、ハートシート移植と言う新技術の治験を受ける事ができ、余命宣告もストップして頂いている。
今年は余事を考える事無く、ゆっくり「ウエモンズハート」と「十勝農楽校」の事業展望を考える年か⁈
楽しみな一年だ!
令和元年、大晦日
昨日30日午後、なつぞらで柴田家の夕見子役をやった福地桃子さんの旅番組で、STVテレビ(NHKでは無い)の取材があり、慌ただしく一年に亘ったなつぞら関連の行事が全て終わり、今日大晦日を迎えた。
横浜の次男や東京の三男夫婦、そして7月には長男夫婦の次女が新たに加わり、家族11人で令和元年を無事終える事ができた。
その今朝は未明から雨が降り、あたり一面スケートリンク状態で、我々高齢者には極めて危険な年越しとなってしまった。
ウエモンズハートのお客さんはクリスマスのみならず、年越しにアイスケーキを注文してくる人も何人かいて、お渡しした後店長はお客様を見送っている。
そう言えばウエモンズハートも全て終了。
これから長男夫婦が牛舎作業を終えて来ると、年越しだ!
家族皆大病もする事無くこの日を迎える事が出来ました。
本当に一年間ありがとうございました。
揖斐川町、最終回
揖斐川町のマチュピチュと言われる段々茶畑のスケールの大きさに感激しつつ、今夜「廣瀬家ゆかりの人々の集い」が開かれる北方一区の会館に移動。
案内され会場に入ると既に半数近くの人々が集まっていた。
子供達もこれから何が始まるのかと、ワクワクしている。
今回の揖斐側の代表幹事を務めてくれた廣瀬勲さんの挨拶と紹介からこの会は始まった。
イサちゃん(揖斐では廣瀬勲さんは長老ながらも親しみを込めて、こう呼ばれている)は、宴会の初めに腹ごしらえを進める為、我が一族が元になった揖斐川町の民話(オババ唄や廣瀬観音様の話)の録音したものを流して聞かせてくれる。それが終わると今度はカラオケを始めるも、聴いていられないほどスピーカーがハウリングを起していて、カラオケには少々自信のあるオレでも固辞したし、地元の人達はダメ出しをしていて、イサちゃんの奥さんなんかカラオケのコンセントを抜いて一件落着。何を見ても肩肘張らず微笑ましい一族の風景だ。
廣瀬誠さんがこの日の為、夫々の繋がりを図示してくれた。
そして親類縁者の紹介が始まる。
先ずは最長老の廣瀬正三さん


イサちゃん夫婦と彼の弟で揖斐運輸の社長の廣瀬巧さん一族

もう1人の世話役廣瀬誠さん武さん兄弟夫婦にお母さんの律子さん達...

廣瀬正幸さん一家

廣瀬文人さん一家
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そして廣瀬輝美さん夫婦

最後に集合写真を...

近い人でも180年以上。さらには300年も前に繋がりの有った一族と言うだけだけれども、全体的に鷹揚な人達ばかりですっかり違和感無く受け入れてくれて、気持ちの良い集いだった。
続、揖斐川町
阪大病院受診の為、中断していたふるさと探訪の旅の報告再開しよう。
6日朝、逗留先の大和神社の「お宿、揖斐川」を出発。
いよいよ揖斐川上流にある坂内村(廣瀬村)の鎌足神社を訪ねる。
揖斐川に沿った渓谷沿いをウネウネと登る事40〜50分、ようやく少し広がりがあり聚落の有る場所に辿り着く。
ここが廣瀬村の鎌足神社か
訪問は初めてだけれども30年ほど前、揖斐川町図書館で出会った松岡浩一さんから鎌足神社を祀っている廣瀬一族がいる事を聞いてから、いつかは訪ねてみたい所だったので、初恋の人にようやく会えたようなワクワク感でいっぱいだ。
坂内の廣瀬と言う所にある地区の会館前で、鎌足神社の持ち回り宮司さんや坂内村の廣瀬一族の長老廣瀬常代さん90才が出迎えてくれた。
坂内村廣瀬の来歴などを伺い、早速坂内廣瀬神社境内にある鎌足神社のお宮に案内して頂く。
右手を見てみると
狭隘な山路を遡ってきた所にこれだけの広がりの有る場所なら、当に廣瀬と言う地名がピッタリ。廣瀬と言う地名や苗字の由来が良く理解できる場所だ。

このやしろの裏側に明治末合祀されたこの地域のお宮さんが三つたたずんでいて、この中のひとつが鎌足神社だ。一人ひとりお参りをさせていただいた後、案内して頂いた廣瀬常代さんも交えて記念撮影。
鎌足神社のお宮さんの本来の位置を知りたかったが、また次回の楽しみに取っておこう。
失礼ながら、好好爺然とした廣瀬常代さんの顔や姿かたちから、一族の片鱗でも感じさせて貰えるか食い入る様に拝見した。そしてそれはひとつだけ、掛け値なしに「いい人」と言ったオーラが溢れているところが矢張り廣瀬一族か‼︎兎も角、お互いに1000年以上昔から藤原鎌足を祖先といただき、廣瀬と言う同姓を名乗っている親近感を更に抱いた。
最後に握手をさせて頂いたが、高齢の常代さん、或いは難病を患っている自分が今後再びお会いする事は無いのかと思うと、握った手が離れなかった。
昼食は坂内村の道の駅でソバを頂いた後、揖斐の古刹華厳寺や横蔵寺で上人のミイラも見学。
今日はハードだ。次に曽祖母のはつ(明治9年生)の生地である横蔵寺の近くの有鳥(あっとり)に向かう。
この標識のすぐ西側の曽祖母の墳墓の地に、岩崎家の石碑が建っている。
更には揖斐川町のマチュピチュと言われている、茶畑に連れて行って貰う。
家内と三男の嫁
この日は移動距離は短いものの、時間を有意義に過ごさせて頂いた。
この夜は今回の最大イベント、揖斐の廣瀬一族との会食が始まる...
(つづく...)








