広瀬の滝
中札内村元更別 広瀬沢の広瀬の滝
この滝は2㎞ほど上流で小さな沢三つの雪解け水を集め、勢い良く流れています。この滝は我広瀬山荘一号棟の直ぐ横にあり我が家では広瀬の滝と呼んでいます。
この沢の付近には約60haの山林を所有しており、この自然のままの川は我が家の所有地の中を自然のまま縫うように流れています。上流2,5㎞ほど上流には広瀬山荘二号棟があり父の別荘兼隠れ家となっています。よってこの沢は広瀬沢と、勝手に呼び習わしています。
画面左に見えるのが山荘一号棟です。
この写真は一号棟を広瀬の滝の裏側(東側)から見た全景で、2尺ほど高床式に建てられている小屋の地杭部分には、昨年8月下旬の台風で広瀬沢も沢一面の大河となって山小屋の床下を洗った時の木屑が引っ掛かっています。
これらの写真は立ち木の根本や地杭に残る洪水の跡。あまり上手く捉え切れていませんが・・・
滝の音を聞き、自然の木々に囲まれて居ると聞こえてくる葉擦れの音。時には小鳥のさえずりや蝉の声、と世間の喧騒も忘れて、心洗われる贅沢な時間が流れていきます。 こんな時は勿論携帯の着信音を消して・・。
これもセラピーですかね。
あっそうそう、上流の高台にある広瀬山荘二号棟の写真です。見晴らしがいいでしょう。詳しくは後日。
我が家の山林で自然そのままの広瀬沢と広瀬の滝の紹介でした。
シベリア
「いやあ雪解けが進んだと思ったらここ2,3日暑くない?」
「ホント急に暑くなったよね。昨日なんか19℃を越えたって・・」
「そうそう、今日も20℃と更に暑くなるって言っていたわ!」
「そろそろ子供達も体力が付いてきたし、シベリアへ出発時期かな・・」
そんな白鳥たちの会話が聞こえてきそうな風景です。
ここ十数年ほど十勝の早春は、シベリアへ向かう白鳥たちの中継地点になっています。
十勝地方は道内の生乳生産量の30%ほどを占める酪農地帯で、デントコーンの栽培が非常に多いのです。そしてそのデントコーンをハーベスターで収穫する際、デントコーンの実を結構落下させてしまいます。雪が溶けてその実が顔を出し始めるこのシーズンに、白鳥たちは夜は安全な水辺。そして日中はコーンの実をついばみシベリア迄旅が続けられる体力をつけている、のでしょう。最近は人を恐れなくなり、野積みのコーンサイレージの口開けをすると人の居ない隙を狙ってサイレージをついばんでいるようです。
自然豊かな北海道人として、人と野生動物の距離が近くなるのは嬉しいことだけど、鳥インフルエンザなど伝染病の問題もあるし・・・・
見つけた
今日の帯広地方は最高気温が18℃。午後4時現在でも17℃あり、温かさに誘われ庭を探してみたら春が来ているじゃ有りませんか。
一叢群れる 福寿草
こちらでは二人仲良く・・・・
こちらは一人淋しく、電柱と背比べ・・・・?
お前も少しばかり早すぎたか、仲間はまだか・・・・
仲間が揃ったら天ぷら、ふきのとう味噌にしてもらおっと!春の味楽しみ。だけどその頃お前は伸びすぎて誰も手を付けてくれないな、きっと!
庭先で春を探してみた!
シンボル
北海道酪農は、開拓政策に異を唱え冷害に強い農業と言うことで、黒沢酉蔵、宇都宮仙太郎氏らが提唱、実践し広まりを見せたのです。
戦時中物資、肥料不足等で疲弊した農地に有機肥料をと言うことで戦後酪農が推奨された。そのための政策もあり昭和35年頃には日本全国で45万戸くらいにまでに増えたのでした。広瀬牧場もその1つで昭和23年に一頭のホルスタインの子牛を飼った所から始まっています。一頭が二頭、三頭・・・と増えていき、そのシンボルとして飼料貯蔵庫としてのサイロを立てるのが多くの牛飼いの夢でした。
立派なレンガ造りのサイロです。酪農に夢を持って建てたんでしょうね。牧場主の意気込みや高揚感が見てとれます。それがどうでしょう。
家族の病気?離婚?後継者がなかったか酪農を選ばなかったか?借金?牛舎も無ければ、住宅も跡形無く雑草や雑木の中にサイロ一人、静かに佇んでいます。
つわもの共が 夢の跡。 悲しいかな、今は離農のシンボル?!
二人掛かり
4月1日の朝の風景
入園式。
午前9時15分までに登園。よそ行きの洋服を着せられるのが嬉しくて、落ち着かない孫。
母親とおばあちゃんが大奮闘。なんとか着付けを終え、慌ただしく出かけた。
これから高卒迄だと、順調に行って16年、大卒だと20年の長い長~い学園生活。
これから色々な人生ドラマの始まり始まり~!





