2週間が過ぎ...
今日8/8火曜日、移植手術後まる2週間が過ぎた。少し疼く程度に傷口の痛みも激減し、早く患者から卒業せよ!とばかりにリハビリも始まった。
術後の心臓についてはまだ詳細な説明がないので、客観的では無く自分自身の感じではこの2週間不整脈も感じられず、本当に心筋シートと言う継ぎを当てたのかな?と言う感じ。全く違和感は無い。
それに引き換え、術後、痰咳が出る度に傷口に五寸釘を打ち込まれる様な痛さには、閉口だった。
ICUでは15分毎に数度の咳痰も、CVCUそして個室へと移動する数日の内にその頻度が激減し、もう二、三日で随分楽になるのでは...と、期待したのです。が、甘かった!
個室に移った翌日、背中からいれて居た痛み止めの点滴が外れ、その薬効が切れ始めた頃から、動くこと能わず!と言った痛みに襲われ始める。
6時間以上空けて飲む鎮痛剤の待ち遠しい事!
これ程の薬物依存性になるとは...
患者本人は"今までに経験した事の無い痛み"と戦っていると言うのに、日にち薬ですね!と先生は取り合ってくれない。
その痛み以外は全て順調に推移していると見えて、今度は四人部屋に移される。そしてその先生の言う日にち薬も薬効が出始め、11〜12日目にはぐんぐん楽になり、痛み止めの薬も今日辺り縁が切れそう!
今日も10時からスパルタなリハビリが始まります!
頑張るぞ!
あゝそれから、一昨日から読書も再開!
"サピエンス全史"面白かった!読後感は後刻‼︎
弔辞
今日午後7時から通夜、明日8日午前9時から義兄の告別式だ。
大阪から
弔辞
兄貴さん、早過ぎる‼︎
私たちは真由美を介して、義理の兄弟となりました。
もう39年前の事です。
ありきたりの義兄弟でしたが、それを変えてくれたのがJCでした。
義理と言う仮面を脱ぎ捨てた決定的瞬間です。
そしてJCで出会った仲間たちは今、自分にとってはかけがえのない大きな心の糧、財産となって居ます。
生涯のプレゼントをありがとう!
安らかにお眠り下さい。
弟より
社会復帰
術後10日が過ぎた昨日、傷口の痛みが和らぎ身の回りの事がある程度できる様になった頃合いを見計らって、家内が家に帰って行った。
私も自立しなきゃいけない⁈そんな時期に来た。
昨日からはリハビリも始まり、痛い、痛いもなんのそののスパルタ!では無く、「イタタタ!」と言えば「大丈夫?無理しないで...次に行きますよ!」と言ってくれる。
優しい!
「その位何ですか!頑張らないとダメです!」と言われると、他人の痛みも知らないで...と腹が立つ!
しかし、優しく労られると「本当に出来ないのか?俺は甘えて居ないか?高齢者の仲間入りを果たした昨今、甘え過ぎると寝たきりにならないか?ナア文彦よ⁉︎」と内なる声が聞こえてくる。
退院したらあの仕事もこの仕事を!なんて頭に浮かばない!しかし、あんな事をして遊べるかな?こんな所へ行けるかなぁ?ばかりだ!
ハイ、我儘勝手です。
リハビリ頑張ろう!まずは寝たきりにならないように...
夏休み
最近中江先生が顔を出してくれないな⁈と思ったら夏休みだそうだ。
30年前、帯広の友人の医師が独立開業した。外来のみと言うのでその訳を尋ねると「入院患者を受け入れると、広瀬さんと一緒になってしまうよ!」とのたまう。つまり、生き物(家畜)を飼っている職業と同じで、一日24時間365日休みが取れない!と言うのだ。大学病院の先生方は、命を守ると言う意味で我々酪農家と大きな共通点があるらしい。
さて看護婦が、患者の私が北海道の人間と知ると、夏から秋にかけて北海道に旅行に行きたいので、何処がいいか?と聞かれる。
一部看護婦のMさんは長崎!とかKさんは沖縄!とか、北海道へ行かないと言う可愛気の無い人も居ますが...
漠然と食を求めているようだ⁉︎
昨夜、病身を押して(辛かったと言えば嘘になるが...)一覧表を書いた。
一押しは勿論、広瀬牧場ウエモンズハートのジェラートだ!毎日作りたて14種類が並ぶ。アイスクリーム作り体験もおすすめ!
焼き肉と言えば平和園、ラーメンならみすゞ、鮨なら辰巳、ジンギスカンは有楽町、イタリアンはバイプレーン、地場産の食材を使った料理を自然の中で味わうなら勿論六花亭の中札内美術村のレストラン、豚丼は数多、味も数多!
カレーならインディアンてな具合いだ!
これらはお薦めと言いつつ、私自身早く退院して食べたい物一覧だ!
体重を落とすのが退院後の目標!
困難な生きにくい老後が待ってる⁉︎