オレの平成考
「歌は世につれ世は歌につれ」なんて言葉が脳裏をよぎる。
歌によって、自分の生きてきた時代が切り取られ浮かびあがってくる、と言った意味か。今の自分には将来を夢見る事より、過去を思い出す事が断然多い!年をとった証拠か⁈
今朝の道新二面の特集、「テーマパークに時代の波」に目が行った。
自分の中では、テーマパークと言う言葉に重なる時代は子育てと仕事に必死になっていたころだ。1987年(昭和62年)の総合保養地域整備法(リゾート法)が追い風となり、平成初期は道内各地でテーマパークが次々と開業、バブル崩壊とともに多くが姿を消した。とある。
バブルの申し子と言える、それら北海道のテーマパークが地図上に示されている。これらの内いくつかのテーマパークには子供を連れて遊びに行った。伊達時代村、夕張石炭の歴史村、広尾海浜公園...。伊達時代村は2度、他は一度っきり。帯広のグリュック王国は近場だけど行った事はない。
ディズニーランドやディズニーシーなどは廃れず、未だに大人気。何度も足を運んでいただくためには次々新しいイベントを提供できる力が必要なのではないか。
スケールは比べ物にはならないが、広瀬牧場では酪農を知って貰う為の活動から教育ファーム活動と言う概念が生まれ国による食育基本法の制定につながる。また、その活動を通して生活者達が牛乳乳製品の安心安全に、想像以上に関心を持っている事を知った。そこから生まれたのが「ウエモンズハート」で、所謂農業の6次化にも先鞭をつけた。いずれも時代の先取りだ。
20周年を迎えるウエモンズハートの今年のテーマは「原点」である。
オレの平成は、酪農と言う仕事に喜びを見出し、その喜びを伝える為に酪農教育ファーム活動「十勝農楽校」が生まれ、その活動から消費者のニーズに応える為に「ウエモンズハート」を始めた。そして平成のラスト5年、拡張型心筋症を発病し、全てから解き放たれようとしていた。平成と言う時間はオレがオレらしく生きた時代だった。
黒田藩、鍋島藩
今回は東京前泊の後、九州小倉、
佐賀県神埼市(吉野ヶ里遺跡)そして佐賀を周り、今は博多。3泊4日の旅が終わろうとしている。
小倉のステーションホテルでは地域交流牧場の全国研修会が開かれ、約100名の会員、関係者が集まった。写真は挨拶する会長の渡辺隆幸さん。
翌日は交流牧場の初代会長の横尾文三さんをたずね、吉野ヶ里遺跡に連れて行って貰う。イノシシや
弥生人のもてなしを受ける。
彼らは見張り櫓が有り、半地下の藁屋根のこんな家に住んでいる。
この集落は見張り櫓意外にも濠や逆茂木に守られている。
余りに広大すぎてほんの触りだけで、佐賀市内に移動。佐賀市内では佐賀城跡に連れて行って貰う。ここ佐賀は維新の立役者薩長土肥の肥前鍋島藩城主の居城だったらしい。反射炉(昨年5月に訪れた長州山口にも有った。)を持ちキャノン砲を製造。蒸気船を持ち、蒸気機関車の模型を作ったりと非常に先進的な藩だったようだ。時の藩主鍋島直政(閑叟)の銅像
今回は横尾文三氏にお世話で長年の念願だった吉野ヶ里遺跡や佐賀城を回る事が出来た。横尾さん本当に有難うございました。
七不思議
今日午後、福岡県小倉市で開催される交流牧場の全国研修会に参加するため、昨日上京し宿泊した泉岳寺駅を午前6時に羽田空港に向けて浅草線に乗る。
この電車は隣品川駅から京急線となるが乗り換えることはない。
この電車に乗るといつも不思議と言うか、ジョークのようなものを感じるのだ。
泉岳寺駅は地下に有るが、品川駅は地上にある。京急蒲田駅までは地上であったりビルの4〜5階あたりの高い所謂高架など、都会ならではのアップダウンがはげしい。
その京急蒲田駅から羽田に向かうのだが、途中から地下に入ると大鳥居駅。次が地上に出て直ぐの駅が穴守稲荷駅だ。その駅を出るとすぐまた地下にはいるのだが、そこには天空橋駅が現れる。そして地下のまま国際線ターミナル駅、終着国内線ターミナル駅となる。
蒲田駅を過ぎると大鳥居駅。電車の窓から見上げるような鳥居が見えると思いきや、見えるのは地下なので駅のホームだけ。
次は穴守稲荷駅。名前から察するに鍾乳洞など洞穴の中にお稲荷さんをお祀りしているイメージだが、ここは地上だ。
そして直ぐ地下に入ると天空橋駅。何かアメリカのグランドキャニオンを跨いで駅があるイメージだか、ここまでくればもう立派なジョークだ!と、車窓の景色を眺めているともう羽田だ。
所謂、命の教育
道新18面に「子噺」のコーナーがあり、札幌の3才の男の子と母親との会話が目を引いた。
健志「ママ、サンマのかば焼き食べたい!」
母がスーパーでサンマを買って、台所でサンマをさばく。頭をとり、内臓が見え、身を切る。
母「健志はサンマのかば焼き好きだもんね」
健志「ママ、サンマのかば焼きって怖いんだね...」
母「......」
昔オレが子供の頃だから60年も前の事だが、とり肉は晴れの日やおもてなしに、ブタ肉などは正月のご馳走だった。
毎日エサをやり可愛がっていた家畜だが、その日トリやブタの足に綱を結わえた後、おもむろに首を切られ、木の枝などに血抜きの為逆さに吊るされる。
オシッコをチビルくらい恐ろしく、建物の陰から盗み見したものだ。それでも料理されると美味しく頂いた。
ご飯を一粒でも残すと、目がつぶれるとか、食べ物を粗末にするな、などと口うるさく言われたものだ。食べ物って命を頂く事と、自然とわきまえていたような気がする。しかしスーパー、コンビニでは惣菜コーナーが充実していて、命を頂いている実感が全くないと言っても過言じゃない。
牧場体験で「オスの子牛はオトナになっても乳が出ないので、肉になるんだ。」と子供に話すと、同行の親からは露骨に嫌な顔をされる事がある。
「全ての食べ物」は「全て命」と言う事を伝えるのは至難の技だ!