思わず・・・・
今朝道新のページを繰っていると、こんな新聞広告が載っていました。
 そうです。おなじみの"AC  JAPAN"の広告です。なんの屈託も無く母の胸で、幸せそうにしている女の子の写真です。
そうです。おなじみの"AC  JAPAN"の広告です。なんの屈託も無く母の胸で、幸せそうにしている女の子の写真です。
その右上のほうに言葉が書かれていて、何気なく読んでみると・・・
 王子様も
王子様も
お姫様も
キリギリスも
太陽も
お化けも
魔女も
オオカミも
みんな やさしい 声でした。
母に抱かれた幸せそうな女の子がまず目に飛び込んできて、次にこの文章を読んで、そしてこの最後のフレーズ、「みんなやさしい声でした。」で、体中の水分が目の周りに集まり、思わず涙が・・・・(加齢現象か??)
幼少の頃、今は亡き曾祖母、祖父、祖母、そして高齢になった両親。叔父、叔母、全ての人の優しさに育まれて今の自分がある!と思うと、本当にありがたく、心が満たされる想いです。
新聞では毎日様々な事件が報道されています。が、その当事者達も純真無垢で親や家族に愛された時期が必ずあった筈です。敵対している人たちにも猜疑心、敵対心、不信感、頑なな心を横に置き、少し手を休めて、この写真、言葉を噛みしめてみてほしいものです。
春を拾う2
 何だこれ?何が悲しくて、枯れ枝の写真をアップしているの・・・?と言いたい気持ちは良くわかります。が、良~く枝先を見てください。白い物がチラホラ・・
何だこれ?何が悲しくて、枯れ枝の写真をアップしているの・・・?と言いたい気持ちは良くわかります。が、良~く枝先を見てください。白い物がチラホラ・・
もう一枚アップしてみます。
 オォ、この写真なら目に付くと思います(なんも変わらん、なんて切り捨てないで下さい)。左の大木から右上のほうに延びている枝先を見てください!
オォ、この写真なら目に付くと思います(なんも変わらん、なんて切り捨てないで下さい)。左の大木から右上のほうに延びている枝先を見てください!
そうです北海道の早春を象徴する辛夷の花です。昨日とは打って変わって寒さが身に染む今日、けなげにも辛夷の花が咲き始めました。嵐雪の句「梅一輪 一輪ほどの暖かさ」ならぬ「辛夷一輪 一輪ほどの暖かさ」です。今は亡き叔父が中学生になった頃と言いますから昭和24~25年に近くの藪から掘って来て植えたものなので、樹齢75年位になりますか。
父は、辛夷の花の付き具合でその年々の畑の豊凶を占っています。その言を信じれば今年は花の蕾が少ないような・・・・
今度は満開の写真もアップします。
大日本帝国陸軍遺産Ⅰ
住所で言うと帯広市西22条南5丁目。と言ってもピンと来る人は殆どゼロだと思いますが・・今を去る事75年前の第二次世界大戦が始まる前後、日本陸軍航空隊熊部隊の飛行場が(現在の自衛隊第5旅団のある位置)敵機に空襲されることを懸念して、弾薬等を分散保管していたそうです。
しかも空から見えにくい場所に保管したそうです。その現場に通じる道路が次の写真です。


 70年近くを経て道路であった所にもご覧の通り大きな木が生い茂っていますが、今でも落ち葉を掻き分けてみると砂利を敷いた立派な(?)道路が確認できます。帯広川の河岸段丘になっているこの裾野に沿って道路を取り付け、奥まった所の崖に横穴を掘り武器、弾薬を保管していたそうです。その横穴は敗戦時爆破され裾野がえぐれたかんじで窪んでいました。高台は畑、下台は水田ですが、その狭間の傾斜地は自然の林の儘で空からは見えにくいその部分に道路を付けたようです。
70年近くを経て道路であった所にもご覧の通り大きな木が生い茂っていますが、今でも落ち葉を掻き分けてみると砂利を敷いた立派な(?)道路が確認できます。帯広川の河岸段丘になっているこの裾野に沿って道路を取り付け、奥まった所の崖に横穴を掘り武器、弾薬を保管していたそうです。その横穴は敗戦時爆破され裾野がえぐれたかんじで窪んでいました。高台は畑、下台は水田ですが、その狭間の傾斜地は自然の林の儘で空からは見えにくいその部分に道路を付けたようです。
長い年月を経て木や笹に覆われて写真では分かりにくいんですが、画面の端から迫ってきている高台の裾野を削り道路を開削したものです。
日本が世界を相手に世界大戦を戦ったことすら知らない世代が増えてきている今、軍都帯広の軍事遺産を記憶にとどめてほしいと思います。
この場所は今は帯広市の所有する帯広の森として整備されていて、その中を縦横に散歩用やジョギングの為の道を取り付けています。22条5丁目の部分は今後整備する予定のようなので、その軍用道路を再生整備して利活用と保存をしてほしいものです。

 なんとも分かりにくいのですが・・・・
なんとも分かりにくいのですが・・・・
今度は遺産Ⅱとして掩体壕をアップしてみます。請う、ご期待を!
これ何て言うの?
昨日の朝、畑から湯気が立ち上っていました。
ウエモンズハートのスタッフが出勤途中に珍しい風景なのでスマホで撮って来たんですけど、これはどう言った現象なんですか?と質問を受けました。
スタッフも、男64歳百性歴44年、子供の頃の手伝いを含めると半世紀以上の百性経験者であるこの親父に聞けば疑問解決と思ったのでしょうか?なんの買い被り・・・!「昔から雨上がりの翌日、早朝から晴れて気温がグングン上昇する日によく立ち上る湯気なんですが・・、正式名称は知らず。今日は朝から畑に湯気が立ち上っていて温かくなりそうだね。農作業に精を出さなきゃ!!」なんていつも気合を入れられていました。
スタッフの期待に反してこの現象の正式な名称を知らず、Googleで(春先畑から湯気が立ち上る現象)と入力したら"地霧"と出ていました。出現条件は雨が前日に降ったり畑を耕起した翌日など畑の表面に充分な水分があって、尚且つ早朝から好天に恵まれると出るので百性の息子としては朝から追いまくられる恐怖の一日の始まりでした。これはどういう現象なの?何て考える暇もありませんでした・・(いやあ幾つになっても恨み節になってしまいます、私的には、万に一つの例外なく確実に一日中畑に拘束される"恐怖の霧"とでも表現できます)。ま、しかしこの年になって清濁併せ呑める様になってみると、長閑でうららかな春先の気持ちをふっくらと包んでくれる霧です。
重ねて言います。「恐怖の霧」ではなく「地霧」です。ハイ・・・
太一君
 友人を紹介します。今を去る事49年前蝦夷農、もとい帯農に一緒に入学した太一君です。もう65歳です。当時から何となく気が合う中で今はしょっちゅうメールのやり取りをしていますが、昨夜喜びのメールが飛び込んで来ました。英語の教師をしている下の娘さんから「今度の連休に結婚を決めた人を連れて行くので・・・」と電話があり、全く予想だにしない寝耳に水の話(嬉しい場合はそういう表現はしないのか?)で嬉しかった。姉娘もつい先月入籍したばかりで刺激されたのかな?でも全く気が付かなかった!」らしい。
友人を紹介します。今を去る事49年前蝦夷農、もとい帯農に一緒に入学した太一君です。もう65歳です。当時から何となく気が合う中で今はしょっちゅうメールのやり取りをしていますが、昨夜喜びのメールが飛び込んで来ました。英語の教師をしている下の娘さんから「今度の連休に結婚を決めた人を連れて行くので・・・」と電話があり、全く予想だにしない寝耳に水の話(嬉しい場合はそういう表現はしないのか?)で嬉しかった。姉娘もつい先月入籍したばかりで刺激されたのかな?でも全く気が付かなかった!」らしい。
今は高学歴からか晩婚化が進み30歳を過ぎないと結婚しない人が多くなったような気がします。私の親父(89歳)の時代は「二十歳ババア」と言ったらしい。我々の時代は「25歳くらいまでは結婚したいね・・」と言っていたっけ。すると今は30過ぎが当たり前か。私どもの次男坊も年には不足は全く無く、親としても心の準備も万端なんですが・・・
兎も角おめでとう。















 
					 
				
