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2017年6月13日(火) 05:08

沖縄

昭和48年3月の事だ(半世紀前か!年も取ったもんだ。)。友人と二人で初めて沖縄に行った事を今朝のニッケイを読んで思い出した。IMG_0876.JPG
キャプションには「ケービン」沖縄戦の記憶。そして「廃線がつなぐ」と有り思考が繋がる。
ケービン...?廃線...?。と言うことは...ケービンは軽便の事か!
俺だって伊達に年は食ってない!無駄飯は食ったけど⁈
JRの前身は国鉄だ。我が北海道の開拓が進み、各地への物流の必要から明治40年代には我がふるさと帯広にも国鉄が開通した。その大動脈のおちこちから私鉄の軽便鉄道が張り巡らされていて、それを軽便、ケービンと呼んでいた事に気付いたのだ!
NHKのドキュメンタリーで沖縄にも鉄道が敷設されていたけれど、昭和20年6月の沖縄戦で破壊され、鉄道の無い県になってしまった。
豆知識の披歴は置いといて、話しを昭和48年3月にもどす。
その年の4月から我が家の酪農後継者として家に戻る予定だ。酪農は365日牛に縛られ休みの無い仕事だ。
或る種、自由気儘なこの世から全く自由の無い酪農と言う地獄に鉄鎖で繋がれてしまうような悲愴感か有り、この世の見納めとばかりに前年の昭和47年5月に返還されたばかりの沖縄に、一足飛びに行ったのだ⁉︎(今思えばガキだ!でもその時は大真面目‼︎)
千歳から伊丹、そして那覇へと初フライト。
暑いと思ったら3月なのに20度もある。
何の知識も計画も無く行った沖縄。とりあえず那覇の中心街へとバスに乗る。
バス停で待っていると反対方向からバスが来た。そして開いた乗降口がバスの右側⁇那覇行きに間違い無いと言うので乗車。走り出して気付いた。右側通行だ!なんかアメリカっぽいと思った。ウキウキ、ルンルンである。
「あのー運転手さん。このバス、那覇の駅に行きます?」
「駅⁈駅なんて無いよ!」
駅がないなんてどう言う事だ?からかわれているのか⁈少しムッとしながら、「それじゃ旅行案内の有りそうな繁華街で降ろして下さい。」
こんな始まりの無知の旅!その後は推して知るべし⁉︎
今思えば、駅の無い町はヘソが無いようなものだ。
沖縄戦は那覇の町からヘソを奪ったままだ!
新聞を読んで、思い出し、想った。

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