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2017年10月 3日(火) 17:47

京都探訪、最終回

京都探訪。
今日で最終回にしよう。

前回は、第二次世界大戦で供出された蓮如上人の銅像の台座の写真で終わった。
山科中央公園の中にある山科本願寺の土塁跡だ。
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ここは本願寺ノ城と呼ばれ、文明15年(1483)山科本願寺南殿跡に作られたが、天分元年(1532)の日蓮宗徒らの襲撃に遭った。
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その昔、山科本願寺は周りに堀や土塁を築き、寺内町を形成していて本願寺ノ城と呼ばれていた。天文元年の日蓮宗徒らに破却された南殿跡に1536年建立されたのが、泉水山光照寺だ。
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次は放鶯山西宗寺。
この寺は蓮如上人御往生の地だ。山科野村郷西中路の名主で地侍の海老名五郎左衛門信忠が浄土真宗に帰依。土地を寄進し蓮如上人の弟子となり同寺を建立し浄乗と名乗る。
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飲用生活水が無く困っている村人達が、蓮如上人が指し示した所を掘ると、コンコンと水が湧き出したと言う井戸だ。
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我が家の系図の言う「山科の里」は当時、寺内町と言われる城郭都市を形成していた所で、今回訪れた寺院などは極めて近い所に位置していた。しかし、道は狭隘で入り組んでおり、しかも地理に不案内と来れば自分の足だけでは到底回りきれなかっただろう。

これで山科の里探訪を終え、京都駅間近にあるお東さん(東本願寺)にお参りして今回の旅を締めくくる事にすべくタクシーに乗り込む。
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山門の表側は交通量の多い道路に面していて画面に入りきらず境内から写す。
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これは見真大師(親鸞上人)の堂で、内部は撮影禁止だ。
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左手奥に見えるのが、阿弥陀堂だ。見真大師堂から見ると規模は半分くらいだ。
自分自身今年65才を迎え高齢者の仲間入りした。
今回の阪大病院で先端医療を受け、失われたはずの老後を取り戻すことが出来たお礼と、然し乍ら平均寿命も残すところあと15年余。
旅立つ時には迷わず成仏できるようお願いもした。
最後は渉成園。お東さんの管理する公園だ。
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渉成園の全景
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午後2時過ぎ、新幹線で東京に向かう。
大谷祖廟始め歴史のある仏閣は兎に角境内が広い。かと言ってその中をタクシーで移動など以ての外。また、本願寺の土塁跡も階段で30段程の高さだけれど、いずれも早足は無理としても息切れせずそれ程身体への負担も感じる事は無かった。
拡張型心筋症と診断され、余命も5年と宣告されてから丸3年。昨年10月に体調崩し帯広厚生病院に入院してからほぼ1年の間曲折を経、先端医療を受けられる幸運にも恵れ、老後を取り戻した事を実感した、中味の濃い京都の旅だった。
ナンマンダブ、ナンマンダブ、...

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