オンラインショップ
2016年1月22日(金) 10:08

帯広の森

  我が家は帯広の森に隣接した場所で百姓を営んで居ります。今の立地条件で言えば・・の話ですが!

今から80年前に現在地に引っ越してきた当時(昭和13年11月13日)は純農村地帯でした。亡祖父種治の話では、帯広の市街地は西は西5条まで南は根室本線の帯広駅までで、南側は農村地帯だったそうです。私が育つ昭和30年代でも子供の私など帯広の市街地には1年に1~2度も行く事があったでしょうか?

そんな純農村地帯でしたが高度経済成長期を迎え、昭和40年代からは帯広の人口も増え始め帯広市は人口20万人都市を目指した街造り計画を立てました。その際市街地と農村地帯をベルト状の森で明確に区切るようにしました。市議会では先人達が苦労して切り開いた農地に木を植えるなんて言語道断と言う意見も大勢を占めていましたが、採決の結果僅差で採択され今の406,5haの帯広の森が造成されました。このため小、中学校の農家だった同級生は皆帯広の森に吞みこまれ我が家のみ百性として残っています。

約30年に亘り植樹祭が開かれ、計画通り事業が進むに従って間伐の問題が持ち上がりました。10数年前に間伐計画を市議会に諮ったところ、在る議員(いまは名前を伏せておきます)が、「一本一本の木には植えた人や家族の思いがこもっているのに簡単にばさばさ切り倒していいのか??」と言う質問をしていました。この議員は育樹とか育林という言葉を知らないのか!と唖然とした思い出があります。

先ほど我が家から北500mの所の南5線を走っていたらこんな看板が出ていました。

間伐.jpgそうです。帯広の森の間伐です。看板を良く見てみると"帯広の森間伐業務(雇用対策)"と有りました。雇用対策と言う事は国から何らかの補助を受けて業務を行っているんでしょうか?この地区は初期の頃に植えられた森なので倒木も出始め、ようやくの感は否めませんが・・・!これからは徐々に市民の憩えるスッキリした森になっていくのでしょうね!!

LINEで送る